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国語テストは常識と違い天才性のテストだ

2011.10.31

日本の国語テスト、つまり客観テストは異様、あるいは非常に異彩、ないしは固有的です。そのためか通念上は、たとえば個性や直感を圧殺するテストのように語られることがあります。しかし実際には、知識によらず命題に突き当たる直感力や、いわば天才性のテストであり、だからこそ批判的に捉えられているのではないか?

そういう話の流れのツイッターまとめ(切り抜き)日記です。

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
http://twitpic.com/77h84j - 国語テストは、対立項の的確な対比理由のテストだが、資本主義という欲動を直視した資本論的マルクスと唯物論という対立項=命題は、国語テスト自体を無効化しかねないね(^-^)/
10月29日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
模試作りの醍醐味は、抜粋者なのに抜粋を否認できる点。前後の脈絡を知っている出題者は、抜粋だけで完結した、対立項と理由を明示できるか、だけに専念できる。これはテクスト読みの形態としては、たしかに病み付きになる類のものだ。だから日本にだけ国語の客観テストが根付いたのだろう。
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
国語は知識科目ではない。それはとりもなおさず抜粋文だけにするという意味なのだが、抜粋は引用とも違って、ある種の良し悪しが生じない。もちろん悪問は簡単に作れるが、日本式国語テストの方法論は一つしかないので、悪問にしようがない。
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
私は小中国語は専門外だが、小中国語の先生が、自己から離れて他者化するのが国語教育といっているのは示唆に富む。大学入試で出題されなくなった文法、指示対象、接続詞を教える小中国語でも、自他という命題に集約されるという洞察はたぶん正しいのだろう。
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
受験生が取り組む抜粋文は、必ず命題を含んで4いるから出題される。学部生になると、それに前後の文脈、つまり知識が与えられるが、まだ学説は掠められない。しかし大学以前に、その学説に匹敵する命題に直感的に辿り着かせようという国語教育は、偏見とは違って、じつは天才教育なのだと思う。
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
受験生が取り組む抜粋文は、必ず命題を含んでいるから出題される。学部生になると、それに前後の文脈、つまり知識が与えられるが、まだ学説は掠められない。しかし大学以前に、その学説に匹敵する命題に直感的に辿り着かせようという国語教育は、偏見とは違って、じつは天才教育なのだと思う。
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
欧米ではあまりないことなのだが、実学的日本では、じつは一般的常識とは違い、国語が天才教育であるというのは、とても興味深い。知識=学部ではなく、それ以上の命題を的確に捉える能力だけを引き出す、日本固有の国語客観テストは、じつはすばらしい発明なのではないか?(^-^)/
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
比較教育学は想定外だったのだが、おそらく日本固有の国語客観テストは、日本語に(いい意味での)原因がありそうだ。英語では問えないような指示対象問題が可能なことからも、なぜ長文抜粋文から命題を問えるのか、ということを考えると面白そう。(^-^)/
10月30日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
客観テストは、命題=対立項を対比して、ある観点=理由で同じか違うかという言明に対して、その理由をテストするのが基本なのだが、柄谷の文体は、一見すると、言明→理由の反復で国語テストに不向き。つまり英語的なのだが、日本式テストでは、より大きな命題を引き出せてしまえる。万能なのだ。
10月30日