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失えない石原、失ったポップ(^-^)/

2012.02.01

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なんかツイッターで、村上春樹・三島由紀夫・石原慎太郎の比較文学状態に。(^-^)/
https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/164384222512025600

作中で文学の固有名に触れることをbookishと言ったりするが、春樹は文学とポップカルチャーを並列に実名化するからなおさらよね。あと固有名と普通名のメタフィクション(あそび)をやってるよー(^-^)/ @sazameyuki 村上春樹の小説の中に引用される洋画・洋楽・外国文学ってとても気になる。小説の中でその固有名詞が生きているよう。例えば、主人公とともに地底から地上へ脱出し、主人公のマンションに戻った太った娘がベッドに横たわって読むバルザックの『農民』。こちらまで読みたくなってくる筆致だ。

村上春樹は、夏目漱石以來の小説の文体を終わらせたぐらいのインパクトありますよねー。文学史に意識的な作家で、原風景の直子の自殺ですら、直前に自殺した三島由紀夫へのオマージュにみえます。ポップになればなるほどそれができてしまうという・・・。(^-^)/ @sazameyuki なるほど~ありがとうございます。勉強になりますヽ(^-^ ) たしかにポップって感じがします。雰囲気が柔らかくてつやつやしてますね。

三島の自決は少なからずショックだったでしょうし、そのインパクトを逃れる方法を考案しない限り新しい文学は書けないと、かなり自覚的だったのかもしれませんね。少なくとも「風の歌~」は露骨にそう読めますし。何かが失われたのです。@sazameyuki 文学史的にも大きな存在なんですね~。言われてみますとデビュー作の『風の歌を聴け』の物語の設定が1970年で三島事件の年なのも意味深です。『世界の終わり~』では主人公が予期される死を前にしてどう向かい合うかが書かれていますが、三島を意識しているのでしょうかね

#石原慎太郎 が#三島由紀夫 へのコンプレックスで亡霊のように文学界の老害になってしまったのとは対照的に、#村上春樹 は三島を失ったものとして素直に書こうとしたのは確かだと思う。だから同時代の村上龍が墓穴掘って失われていったようにはならなかったのかも? @sazameyuki 文学史的にも大きな存在なんですね~。言われてみますとデビュー作の『風の歌を聴け』の物語の設定が1970年で三島事件の年なのも意味深です。『世界の終わり~』では主人公が予期される死を前にしてどう向かい合うかが書かれていますが、三島を意識しているのでしょうかね

三島も文体とは対照的に姿勢がかなりポップというか・・。春樹は三島より今では海外で受容されてる。三島+春樹で川端超えたかな@sazameyuki 三島と村上春樹の比較etc新鮮でとても勉強になりました。ありがとうございます。海外でも村上春樹は研究されてるのですね。超国家的作家ですね

ノーベル賞とった川端ってエキゾチシズムでもオリエンタリズムでもなく、猟奇なのよ。三島は不真面目に健全。春樹は真面目に失い続けちゃってて、石原慎太郎は(日本近代性を)失うまいと文学飛び出ちゃう。ロマン主義を基軸に見るとそう見える。(^-^)/

現在の日本の文学の俯瞰図は、戦後三島が嘲笑した日本近代に固執する石原派=芥川賞と、三島を嘲笑せず、日本近代に疑念を挟んだ村上春樹に、二分化して久しいからね。そのあとは真空状態になったけど。文学どころか現在の日本の縮図(^-^)/ @bezoku 村上なんて読むんですかww

いやそうなのだが、拘ってる人が日本なので、実社会も文学もそれにどう向かうかということが、最前線なわけ。(^-^)/ @bezoku 日本とか、三島とか、に拘ること、自体が、未意味です。ww

三島はホモセクシャルに屈託ないのだけど、石原はそれが許せなくて意地になってる。ホモフォビアだけで生きてる石原さんに、なぜかマジョリティーが呼応してるよ。(^-^)/ @sazameyuki 三島は美輪明宏、横尾忠則等と親しかったようですね。一方で『英霊の声』や『奔馬』等の作品もありますね。以前youtubeでノーベル賞受賞記念の川端・三島・伊藤整の鼎談の動画を観たことがあるのですが良い師弟関係って感じで面白かったです。 RT @sunamajiri 三島も文体とは