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国語教育は外国語教育だった(^-^)/

2012.02.20

土日から月曜まで国語教育と言語力の議論をツイッターでしていました。中間まとめです。どうやら受け身の教育は日本人には徹底した啓蒙=読解が必要なためですが、読解させるのは日本語に見えてもじつは外国語だ、ということになりそうです。

以下ツイッターより
https://twitter.com/#!/sunamajiri

英語圏のネットではナンセンスよね人格攻撃(^-^)/@yutakioka QT: 人格攻撃というのが日本ではわりと許容されるのは、それで訴えられることがほとんどないことが関係していると思う。多分米国だったらリアルに訴訟になるような罵倒や罵詈雑言が日本語のTLには大量にあふれてる

大学入試では評論ばかりですが、近代化に平伏させる啓蒙。しかし最近では小論入試増えてきてますよ。RT @yutakioka そう思いますね。小説はどちらかというと趣味で読めばいい分野ですし、より重要=社会に出て実践的なのは論理的思考力。そのためには論説を読ませそう。

人格攻撃したら負け。日本では議論が空中分解するのもほとんどその甘えのリテラシーですね。(^-^)/RT @yutakioka それやった時点でそれまでいくら正しいことを言っていても終わりですね。米国ならそれのみならず訴えられる可能性すらあります。それが公開討論の場であれば。る訓練をさせた方がいい

しかし逆説すれば、筆者の意図を読解できないから、反論に至るどころでないのも事実なんですよ。RT @yutakioka たしかに、それは酷いですよねw意図とか反証可能性が無いわけですしwRT @moraimon 論説文読ませても、「筆者の意図は何か」みたいな問題解かせ続けるのでは

筆者の意図ですらなく、出題者の一義的な意図ですがwRT @yutakioka そもそも文章の「意図」なんて定義できるわけがない。なんでそんな意味不明の出題をするのか。「意図」とか関係なく、「ここに記述されている文章の前提から最も妥当だと思われる解釈を選択せよ」でいいと思うんだけ

日本独特の国語の客観テストという出題形式は言語力ではなく近代の近代の啓蒙のままだからですよ。RT @yutakioka 意図を読むことが可能なのはリアルタイムのやり取りでかつ相手に対して質問ができる場合のみ。だからそもそも書かれたテクストの「意図」は書かれたその時にすでに「死

いや、実際に筆者が自分の文章で出題された問題正解できないとは、よく笑い話になるほどですから。しかも文を入試に使われて五千円の謝礼だそうでw(^-^)/ RT @yutakioka 出題者の意図を読めだったら、まだ問題として成立しそうな気がしますが(笑)

はっきりいって日本の国語教育は学校では言語能力教育を疎かにして中途半端に文学を読ませて、指導要領の意図を読ませるテストを客観テストとする。次に入試の評論で近代の啓蒙を客観テストしようとする。つまり反論させない大人をつくるから人格攻撃しかできなくなるんですよ。@yutakioka

そうそう、文学テクストから一義的な読みが可能になるはずがない。しかし国文の小森陽一氏が指摘しているように、すべて指導要領ないし教科書会社の教員マニュアル本に、これを正解としてテストせよ、と書いてある。つまり日本で国語とは制度なんです。@sazameyuki @yutakioka

そうですよ。欧米にそんな国語教育は存在しないんです。副業で予備校で現代文教えてますが、だからこそ受験指導では、国語とはそういうものなのだから、そう答えろと教えるんです。予備校は国語教育ではなく受験指導ですからね。もちろんそれで言語能力が養われるわけではない。@yutakioka

瀧岡 優  @yutakioka
これはフランスやアメリカの国語教育とは真逆。フランスやアメリカでは国家の政策を批判できることを目標に国語政策がなされている。だから問題でも「意図」を問うという問題はほとんど出ない。論理的な整合性や妥当性を問う問題が多い。SATとセンター試験を比べればこの違いはよくわかる。

ただ一方、そのように頭ごなしに近代を啓蒙しないと、自然体で子供は口ごもっているだけなんです。近代社会とはこういうものだ、と読ませる(頭を整理させる)ことで、少しだけ大人になって、対等に口がきけるようになるのが日本人だ、というのは否めないと思います。@yutakioka

近代を啓蒙的に教え込む国語は、じつはそうした民主主義を理解ができないというところにも起因してそうです。受験国語では、個人対共同体という命題が頻出しますが、それを知らないと勢い、世間体といっても身分的だったり、前近代の足かせに埋没しちゃうんです。空気もそう。@yutakioka

だから文科省的な、日本人には近代を啓蒙する以外に、リテラシーを引き出せないとする官僚的な考え方は、未だに有効なんだとおもいます。野放図にしておくと、日本人はそれこそ人格攻撃と空気読みしかしなくなります。教科書も入試も空気読むなという批判が正解です。@yutakioka

もっというと、フォロワーの福嶋さんという国語の教育者がおっしゃってるように、日本の国語は、他者になることなんです。体験するものとしての自己を一旦消して、他者の書いたものに乗り移るのが国語的正解ということになる。つまり、欧米の国語とは真逆なんです。(^-^)/@yutakioka

あ~。とてもおもしろいお話なんだけど、一旦寝落ちしないと夕方の授業ができなくなる恐れが。ここらでお暇(^-^)/

日本の国語教育https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/170681653335818240 は言語力https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/170683851977392128 になっていないという話、福嶋先生がうまくまとめてます→https://twitter.com/#!/FukushimaKokugo/status/166861243125215232

欧米の国語教育が、自己表現技術だという時、それはこの「自分を離れる力」を前提としている。それがあってこそ議論になる。日本人が下手なのは圧倒的にそのあたり。自分を離れられないわけです。

だから国語は自分から離れさせるために、他人の文を読解させるという方法論になっている。他人が書いた、近代を啓蒙する文を読解できるようになってはじめて、自由とは何か? 表現とは何か?ということに確信が持て、口ごもっていた子供たちがやっと自分の言葉でしゃべれるようになる。

日本の国語教育が、近代の啓蒙に陥ってるようにみえるのも、じつはその方法でしか、日本人が口ごもる失語症から脱却する方法がないからです。だから国語教育はじつはちゃんと言語力教育たりえているんです。ただそういう綱渡りなので、途中で脱落すると両方躓く人間を生む。それが最大の難点。

https://twitter.com/#!/yutakioka
瀧岡 優 @yutakioka
そして、さらに困るのは、(1)自分が自分を離れらえないという事実、からトンデモナイ演繹をして→(2)他者も自分を離れられないだろうと思い込むこと=「心の理論の欠如」、そしてその結果→(3)他者の言説の根拠が他者の属性故と思い込む→(4)人格攻撃。

高校の読解では対比と理由、同一反復、因果関係、具体抽象ということを演習させるんだけれど、帰納⇔演繹をもっと演習させたほうがいいのかもね。昨日ちょうど、特殊⇔普遍が正解なのに、具体⇔抽象との違いが分からない子が読解塾に来てたなー。@yutakioka

そうそう、そのあたりはたしかに今の国語では不備だらけですね。意欲的な先生は色々と取り組んでるんでしょうが、なかなか功奏してないのが現状。と同時に人格攻撃に弱い側と、人格攻撃を屁とも思わない東大、という二極化を生んでると昨日誰かがツイートしていた。w @yutakioka

https://twitter.com/#!/kannoshigeru
菅野茂 @kannoshigeru
@sunamajiri 国語を学ぶには外国語を学ぶに限る。

菅野茂 @kannoshigeru
外国語を学ぶと凄く日本語の曖昧さに気がつきますので日本語で伝達するときに自分の意思をはっきり言ってやろうという気になります。知っている漢字の量は余り関係ないことにも気がつきますね。@sunamajiri


言語は符牒になろうとしますからね。@yutakioka 氏の言う外国語教育の目的https://twitter.com/#!/yutakioka/status/171320028287877120 も、言文一致以来、常に欧米語によって賦活されてきた「近代日本語」には、外国語が必要ということがありそうですね。@kannoshigeru 特に日本語は不便ですよね。勝手に複雑になりどんどんわからなくなる。

そうです。確かに受け身の授業https://twitter.com/#!/yamauchitaiji/status/171365788333260800 は不徹底な啓蒙だが、徹底した啓蒙https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/171362047395758081 によってしか近代化=自由になれない。

それだけでも進歩なのよ、前近代には封建制しかなかったんだから。@bezokuGon @歌謡曲のかしと同じでイメージだけです。RT @kannoshigeru: でもその外国との交流のおかげで「自由」とか「人権」とか「民主主義」とかの用語が増えて我々は自由に @yutakioka

うまい(^-^)/ @bezokuGon 言葉尻を挟みますが、日本は中世を回避、飛ばしたんですね。(^-^)/突然パンツを履いた猿でしょうか@kannoshigeru これらの言葉が無かった江戸時代は暗黒の世界でしたでしょう。中世そのものですね。@yutakioka

高校生に一発目に日本は植民地支配を受けなかった誇れというと大抵ウルウルしちゃうんですよ。発展史観とか右肩上がりを啓蒙するつもりは毛頭ないですが、中世が無我の境地=封建制だったのは明らかなんです。(^-^)/ @kannoshigeru @bezokuGon @yutakioka

たぶん、国語教育の「自分を消す」https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/171359293810028544 という時の「他者」も、外国語のことです。日本語に外国語を傾聴させるのが国語教育と極論してもいい。それで日本語力が賦活されるんです。