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デカルトを真の表象論にしたスピノザ

2012.04.22

ファイル 202-1.jpg

音楽の軽い話のツイート終わったのだが、ちょっと國分的スピノザの軽い忘備録(^-^)/
posted at 00:29:54

(読書メモ)國分186~200p デカルトを論じるスピノザと、そのスピノザを論じる國分で、用語法(概念布置)がめまぐるしく反転して対立項が捉えづらいしこの段落は錯綜しすぎているが、観念は実在の表象ではない、というスピノザに。 http://t.co/5HtimmNg
posted at 00:34:44

(読書メモ)國分200p デカルトの公理の順では真の懐疑が不十分で、実体を表象するのは心像だけで、観念=精神は何らの表象ではない。スピノザがそれを真の順序にすると、観念は観念の表象でしかない、ということになる。つまり観念こそが表象される実体だ。この観念=実体は確かに分かりづらい。
posted at 01:01:22

(読書メモ)國分200p というか、この箇所を有意味に要約、つまり命題化することは、たぶん用語の布置の関係でほぼ不可能だ。
posted at 01:02:41

(読書メモ)國分200p したがって要約は意味ないが、スピノザは分かっている人と分かっていない人が実在してる。実在する人の観念は、外界が原因(つまり影響)ではない。にも拘らず、デカルトの公理の順では、こうした真の懐疑が隠蔽される、と言っているように思えた。
posted at 01:10:45

(読書メモ)國分200p 表象はデカルトの公理の順では、知覚=映像が心像になることで、それに対して精神である観念は独立している。つまり懐疑していない。それに対してスピノザはそれを疑っている。という意味内容だろう。
posted at 01:12:38

(読書メモ)國分200p このようにデカルトの真の順序で、スピノザがデカルトの公理を整序すると、表象が実在を表す心像(イメージ)から、観念(精神)を表す観念に、なってしまう。言い換えると、デカルトはそれを疑っていない。という話になる。
posted at 01:14:47

(読書メモ)國分200p 要約できないので敷衍すると、デカルトの公理順では、精神が原因の表象とは単に幻覚や幻聴ということになりかねない。しかし、それを整序すると、精神が実在(分かっている人)になり、分かっていない人の観念への懐疑が生まれる、そんな話に一応見える。
posted at 01:23:10

(読書メモ)國分200p デカルトの公理順は偽なので、分かっていない人(観念)の実在性を問えない。つまりむしろ観念の共有を拒否している。それは思惟していないことだ。そんな文脈のようなのだが、いまいち眠いのでわけがわからん。考える故に眠いのではないが、眠い故に命題化が出ないw
posted at 01:27:23

(読書メモ)國分200p しかし國分氏、スピノザとデカルトのテクスト論をするわりには、私のように造語こそしないが(今私は「真の懐疑」とか造語した)、テクスト内の言語と意味の相違を、説明なくいきなり「視点の相違」と言いはじめたり、もうちょっと自重して欲しいなーw
posted at 01:33:46

(読書メモ)國分200p 眠いので短絡させると、デカルトの公理のままでは、くだらないやつを判別できず、幻覚や幻聴の病気になるぞ、とスピノザが心配してる、という話のようで。そう考えると眠れそうね、そろそろ寝支度(^-^)/ 

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(読書メモ)200~204p 目が開いてしまった。これでこの章(定義~公理まで)が終わるので、メモっておこう。國分は「デカルトの観念思想は、スピノザには表象論的観念思想」に見えた。とまとめている。
posted at 04:45:27

(読書メモ)こうしたデカルトの表象=心像を、スピノザは写本と肖像画の例で注釈することで、デカルトの表象公理の維持をギリギリ達成する。言葉=表象に対する実在する書き手の意味、つまり観念が表象の原因である写本の例。肖像画が実在の人物の表象とは必ずしも言えないという肖像画の例。
posted at 05:00:55

(読書メモ)もちろん、今では表象論はあまりに当たり前だ。しかしデカルトは表象を心像として、観念や実体から切り離すことを、自己をではなく神の存在証明という定理の整合性のために必要とした。短絡すると、デカルトあるいは表象論にとっての自己とは、むしろ神同然なのだろうか。
posted at 05:07:24

(読書メモ)~204p 表象論は自己性を神と証明する妄想であるかのようだが、神の存在証明というデカルトの定理のためには、観念思想は表象論として定義~公理される。まるで近代的理性と呼ばれる表象論は、まるで神ゆえの我の構図だ。國分スピノザの方法4章末尾の忘備録終わり。
posted at 05:16:05

(読書メモ)國分スピノザの方法四章末尾。デカルトの心像論は、スピノザによって真の表象論に格上げされたようだ。これによってデカルトが意図した神の3つの存在証明の前提にある曖昧性が解決された、ということらしい。 http://t.co/tp6nbSQS
posted at 05:25:17