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仏教用語で混乱した国語の哲学

2011.05.25

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超読解が正解とする言語論的転回は、仏教用語とのダイナミックな衝突に埋れている。大乗という言語論が、言語論的転回をもたらしていないからこそ、客観テストの正解が作れてしまう。難読文の読解はそのようなものだ。

※言語論的転回とは、要するに、実体や存在ではなく、言語が哲学の対象となることなのだが、念の為にWIKI→http://bit.ly/loeK78

そういう文脈でのツイートメモです。

◆公式ツイッター
http://twitter.com/#!/sunamajiri
◆ツイログ
http://twilog.org/tweets.rb?id=sunamajiri

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ウィットゲンシュタインやソシュールが日本人に産まれてたら、日本の自己言及に終わったはずよ。日本語にとってはあらゆる論は近代の確定記述になるから。その外は宇宙の外ぐらい無意味。@bezoku 言語学が日本と日本人批判の根底となるような気@AmeCaline @eri_mitu
5月19日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ソシュールでさえ日本に生まれてたら日本論にしかならなかった。近代だけが未確定だから論じられる。ウィットゲンシュタインと柄谷を比較文学すれば。こういうのが難読文のレベル。つまり日本語では近代しか論じることができない。存在論は宇宙の外より不可能性。
5月19日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
私にきくな、出題する大学や模試作者にきけw だが一貫してるのは、一義的メッセージでコトバを受け取ると不合格ね、多義性が正解。つまり言語論のパラダイム。@bezoku そういうのは、高校でない!大学でもない!何を大学受験に求めてんの?
5月20日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
郵便論的だけは名著w@hazuma 理系連中は文系をバカと決めつけているようだが、そういう人々は言語行為論とかコミュニケーション論とか勉強したことあるのか? 自然言語にはコンスタティブな真理値とは別にパフォーマティブな効果があるとか、知ってるのか?・・
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
はじめにダメヨがある人たちって壮絶ねー(・・;@durph3am 女性のポルノ依存症は初めて聞いた。幼少期の愛の欠如が原因なら、日本でもありそう。ポルノに限らず、依存症はつらい。http://www.christiantoday.co.jp/view-3172.html
1時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
はじめにダメヨがある西欧の人たちは壮絶だけど、神学的ダメヨがない人たちも、ゆるすぎて大変そう。タブーなんて未開社会みたいな心情で苦しむ。高校では哲学的混乱の現文を読解させられる。それならはじめから哲学教えたほうがいいのに。
40分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ゆるすぎて高校生は、哲学用語の混乱の渦中に置かれて気の毒。哲学ではなく国語という矛盾だ。入試では言語論的転回が判定基準のようだが、そもそも丸山圭三郎ですら言語論を大乗と仏教用語で惑乱している。ソシュールどころか、存在論ですら仏教用語で読むのは無理がある。ニューアカの後も微妙だ。
23分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
彼らが国語で読まされる近代哲学は、仏教用語とのダイナミックな衝突の文学だ。たしかに大乗は先行した言語論なのだろう。西欧哲学を近代として翻訳したとき、仏教が日本でだけ孤立したことが、自ずと問われてしまう。近代は論じられ、大乗としての言語論が命題化されている。それが国語のようだ。
15分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
それはたとえば、機能和声システムの自動書記化だったコルトレーンを、精神論で翻訳してしまうのと、とても似ている。仏教の大乗は言語論ではあっても、その言語論的転回を示したことになるのかは疑問だ。弁証法が欠落しているのかもしれない。精神論では機能和声が自動書記化しないのに似ている。
3分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
言語論を大乗といって転回しない丸山圭三郎より、法華経(大乗)を譬喩(言語論的転回)と捉えた宮沢賢治の銀河鉄道のほうが、言語論的転回という意味では影響力があるからなー。精神論とか大乗は、文化的にあまり好きではない。それは平民に入神状態を禁じる規範か制度なのだろう。
31秒前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
丸山圭三郎どころか、ウィットゲンシュタイン的探求を、日本近代と言いかけた柄谷行人より、フロイト的井戸を言語論的転回として物語った村上春樹のほうが、ぜんぜん音楽にちかい、というあたりがニューアカ前後の国語読解格子w
現在

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ジャズはエンタメではなくトランス状態しか目的がないが、最近、超読解もトランス状態の即興師w 翻訳文はまずないが、難読文は、それこそソシュール論だったり、具体的な対応物のない比較文学だったりする。そういう文に限って、接続詞で論旨が明示されないので、弁証法読みになるがトランスする。
5月20日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
現文の客観テストでの正解のイデオロギー性については、いろいろと論考があるのだが、評論文の場合、一義性より多義性が正解になるなど、弁証法読みで確定できるのは、どうやらパラダイム的な正解があるからのようだ。評論は近代日本への自己言及だから、それを多義性と読むと正解するみたいだな。
5月20日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
そもそも、欧米では、読解の客観テストというのが重視されていない。日本では高校の読解では、接続詞での順接逆接を読ませ、大学入試では、命題的な対立を弁証法で読ませるもののようだ。命題は近代日本への自己言及で、論はそれへの相対論になる。興味深い。
5月20日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
評論以上に小説の客観テストは、直接的にイデオロギーが正解。羅生門は洛中の無法からの失踪を隠蔽すると正解、鴎外の舞姫は身分喪失の自失を近代的自我性と解答すると正解。山月記もだが、なぜか文科省は失踪譚を必修にする。文科省的な小説観はどこか厭世的だ。
5月20日