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無限定の自由、黄金の主客、国語の客観テスト

2011.08.09

読解塾メモ、ツイッターまとめ。

日本固有の国語の客観テスト。それはまず高校生にデカルトと名指せないためのクイズだ。そのために、主客の黄金の対立項が基本となる。たとえば、主体性や自由が何に対してのものか? それはもちろん自然を対象とした認識の主体性や自由のことだ。つまり平たく言えば自然科学をする自由のことでしかない。

しかし、国語が範囲とする日本の書き手は、それを隠蔽する。そこで高校国語や受験国語ではクイズが可能になるのだ。西欧では自由や主体性は無限定ではなく、対立項が明示的だ。しかし自由や主体性を無限定に捉えるしかない日本人の盲点に付け入るクイズ、それが国語のテストと思える。

読解塾メモ。「主体性とか自由って何に対して言われてるかわかる?もちろん神とか自然に対して自由や主体性なのよ。だから主客は分かりづらい」
8月7日

読解塾メモ。「現文は外国の著者の翻訳文は対象外。では日本の書き手は何を書いてないか? 例えば主体性や自由の対立項は何か? つまり、何に対しての自由かが隠蔽される。だから入試で現文でテスト=クイズがでる」
8月7日

読解塾メモ。「日本固有の国語の客観テストは、自由や主体や近代がそもそも何に対するものかを隠蔽したテキストだからクイズが出来るに過ぎない。自由は自然を巡る教義に対する思考や認識や表現の自由だが、翻訳文ではない日本語(つまり日本の書き手)はそれらを明示しない。政治家の失言も然り」
8月7日

読解塾メモ。「だから読解でも主客が黄金の対立項。読解できないのは2つ以上の対立項の対応関係が分からないにすぎない。主客はもちろん認識。近代とは、禁じられていた自然の対象化によって単に人間が主体化しただけであり、自由とはじつはそういう限定のこと」
8月7日

LitoSnowfield Lito Snowfield
sunamajiriがリツイート@
@sunamajiri 何となくではありますが…子供の頃からSF好きだったせいもあり翻訳物ばかり読んでいたので、翻って日本の文学を読んだときに独特な違和感を感じました。当時あべこべに文章を翻訳したために海外の文学が独特に感じるのかとも思っていました。
8月7日

学部以下なのでデカルトとか名前出せない。デカルト読んでから受験しろとは言えないから。たぶん日本の作家は同じように神がとか名指せない。自由まで無限定にきこえる。@LitoSnowfield日本の文学を読んだときに独特な違和感を感じました。当時あべこべに文章を翻訳~
8月7日

高校生が一番難儀するのがどうやら主客の対立項。なんでも対象にしていいよで主体性になるけど、もともと西欧では自然を認識するなというご法度があった。それは江戸の身分制のご法度どころじゃない、というとわかるみたいww @LitoSnowfield 自由まで無制限…ああそうか‼
8月8日

そうそうあのすっきり感がない。自由や近代まで無限定で後ろめたくなる文学ばかり。本が売れないのは現任は別でも、本質はあれじゃ読みたくないw@LitoSnowfield 子供の頃からSF好きだったせいもあり翻訳物ばかり読んでいたので、翻って日本の文学を読んだときに独特な違和感を感じま
8月8日

@LitoSnowfield
Lito Snowfield
@sunamajiri 「何に対する自由か分かる?」これ日本文学しか読んでいなかったら…へ(・o・)⁇ な質問かもしれないですね。。(*uou)>
8月8日

日本語では自由というのが無定義にでてくるからねー。あらゆる概念は対立項を伴うけど、何に対する自由か分かる?って問うてみるの。@LitoSnowfield 自然を認識するなとのご法度…あの不自由?な感じの自由。とそのややこしさ。。今まで何となく感じていた事がクッキリしました
8月8日

そうそう、何か対立項がなければコトバは有意味化しないけど、自由って何?ってきいてみるのよ。政治家の失言とかも同レベル。(^^ゞ@LitoSnowfield 「何に対する自由か分かる?」これ日本文学しか読んでいなかったら…へ(・o・)⁇ な質問かもしれないですね。。(*uou)>
8月8日

にしても、高校生が主体性って何ですか?と質問してくると、すべてを対象と認識する自由のこと、つまり自然科学の自由のことだよ。それまではご法度だったから。と教えたことになるんだが、それまで主体性とか自由を何だと思っていたのだろう?それがとっても不思議(^^ゞ
8月8日

そのように、どうも我々は、自由とか主体とか対立項なしに無限定に漠然とおもってしまうから、近代とかいうわりには、どこかボケボケな感じに毎日送ってしまうのかもしれない。どうも近代以降の日本人の民族性ってそれなのかな、とかふと思っちゃった(^^ゞ
8月8日

明日は読解塾。もう一度復習。近代や自由は、日本人が想定する自由や近代とは掛け離れている。その齟齬から国語は日本特有の客観テストとして出題される(・・; http://t.co/SRqfrZW
1時間前

ん?私の意見が違うということ?国語のテストがへんだということ?(^^ゞ@bezoku なんか違うよううに思う。
1時間前

@bezoku
インコの人
言語、行動、社会、、、それを支える心理?などを綿密に物理的に分析したいですね。RT @sunamajiri: ん?私の意見が違うということ?国語のテストがへんだということ?(^^ゞ@bezoku なんか違うよううに思う。
44分前

いや、私が言ってるのは国語の問題。学部以上なら単にデカルトの問題といえばいいが、高校ではデカルトといわずに、主客が出題されるのだ。日本の書き手だけが範囲なのが国語なので、彼らが使う主体性や自由は対立項が不明で無限定に見える。そこでテストが可能になるという話。ww @bezoku
23分前

もちろんそれにも応用できるだろうが、国語の設問の作り方の基本は、乱暴に言えば、文中の主体性は何に対しての主体性でしょうか? なのだ。しかし日本の書き手は、たとえ評論文でも、教会が禁じたことへの自由とはあえて書かないのだ。なので誤読が起こる。だからクイズができる。@bezoku それは日本語を英訳するための技術。