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自由意志2.0で監視する自己言及ども

2012.03.21

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文学関係のツイートまとめ

●監視社会を自由意志2.0という日本のおかしな言説。
●大江健三郎と村上春樹のとりかえばや物語
●自己言及の不可能性を実践する日本近代文学
●詩の自己言及。大いなる文法学者の猿
●90年代最大の文学論争、漱石は「こころ」で性転換した

イケノブ氏も指摘していたが、監獄の発明者ベンサムの功利主義が、「個人の効用=心理から均衡」という現在主流の経済学なんだろうね。(^-^)/RT「ソーシャル」という罠 ―プライバシーが消えてゆく─フーコーの警鐘に従うなら「可視性は罠」なのだ http://t.co/wQeFX6eY
posted at 23:30:16

ベンサムへの言及はハイエク本のここ(^-^)/ http://t.co/i3DxNubQ
posted at 23:43:33

イケノブ氏は自由報道協会や柄谷的現代思想に批判的のようだ。確かにハイエクの両義的な自由論の観点からは、監視社会を自由意志2.0と意図的に誤読する日本の言説は素朴な革命論にしか見えない。ネットもマスコミのように煽ろうとしているが、受け手には実は固定観念はない、つまり国民が賢いのだ。
posted at 00:07:43

国語教育も固定観念の駆除が目標だが、生徒に固定観念があるはずだという前提自体が偏見である場合が多い。生徒は自信なげに世間や規範の正解を質問しに来る。無論、世間や空気と感じるものが自信喪失の原因なのだから、それを考えさせる。国語の9割はこれ。つまり個々人に偏見があるわけではない。
posted at 00:38:24

この相手には思考の曇があるはずだ、という勧善懲悪的設定が、監視社会を一般意志2.0と革命論に素朴に誤読させる固定観念。つまり上から目線ということだが、これはコロンビア出のhttp://t.co/6PhEJkMV が言うような、最近の風潮というわけではない気がする。
posted at 01:01:22

この本 https://t.co/zrTNy05z に(amazonレビューなどでも)賛否が寄せられてる点も、東大記述問では、大手予備校の解答例に紛れ込んだ偏見・固定観念が、国語の正解法ではないという点。その偏見によって、国語力のない子が再生産される。
posted at 01:45:46

RT @americanjokebot: 経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。イギリス人「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」ドイツ人「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」フランス人「その定理をフランス語で言ってください」日本人「あなたの先生は有名ですか?」
posted at 02:02:02

RT @Onl_y: 大江:芸術の問題としてそれ(死ぬまでに問題を解決できないこと)を捉えようとしていた。ベートーベンやR・シュトラウスの晩年の作品の破滅的な調子。そういうことを研究していた。彼は死に、私は残された。私は最後の仕事を書こうとしている。個人的なカタストロフィを通じて書くつもりだった。
posted at 02:23:14

大江健三郎の話題がRTされてきたが、それで思い出したのだが数日前なぜか大江さんが徘徊老人になって、大きな書店のフロアに寝転んで駄々をこねている場面に遭遇する夢をみたwww(^-^)/ 
posted at 02:24:21

3日ぐらい前よ。変な夢見ちゃったわよ。大江さんがボケ老人で書店で寝転んで分けのわからないこといってて、書店員も有名人だから手をこまねいているという場面に遭遇する夢だったwww (^-^)/ @LitoSnowfield ひ…ひどい~~(*^o^)ノシ☆
posted at 02:37:38

文学的エゴ強そうよね。エゴが強いとボケるww(^-^)/ @LitoSnowfield 何故かリアルなイメージが伝わるのですが(笑) 昔に読んだ大江さんの叔父さんがホームレスのお話を思い出しました(*uou)>
posted at 02:51:15

ノーベル賞直前の緑の木三部作は何らかな突き抜け感があったと記憶してるけど、性遍歴という実存からの救済とやっと単純化できたのがカタストロフとかそんな感じ。作家は重層的円環的に前作に言及しながら後続作品を書くものだけど、ポジティブさになるまで苦しみすぎ。@LitoSnowfield
posted at 03:10:43

大江の緑の木三部作http://t.co/jciishOc のどことなく突き抜けた感じと、村上春樹の海辺のカフカが、なぜか同じ読後感。と思ったら、たしか両者とも語り手が性同一性障害なのよね。日本文学はとりかえばや物語するしかないみたい。(^-^)/
posted at 03:14:55

そうそうポンポン前作を忘れるタイプと、同じ所ぐるぐる回る夏目漱石型がいるよねー。たしか四国を舞台に性同一性障害が語り部という、大江のノーベル賞受賞タイミング作と、村上春樹はかなり似てる。@LitoSnowfield 近作は読んでいないのですが…。グルグル同じところを回られて…
posted at 03:21:25

日本の作家が同じ所ぐるぐる回るほうが文学性が高く見えるのも、前作や文学史という空気への自己言及が日本では近代文学という雰囲気だからかな。村上春樹は大江と同じで周りの文学状況に自意識過剰。だからそこから抜けだす物語性を毎回実験する。でも西欧では文学は自己言及は矛盾として斥けられる。
posted at 03:33:22

ゲーデルではないが自己言及は不可能。なのに日本では近代文学は、文学史と前作への自己言及性と、そこからの脱出が唯一の物語性だった。大江も村上春樹もそこから脱出したい。ところで文学も近代以降は西欧にしか可能性がない。西欧とは擬人法の三態、物の人化、神の人化、人の神化。
posted at 03:40:05

ノーベル文学賞で思い出したが、オクタピオパスの「大いなる文法学者の猿」という本が、どっかいってしまっったんだが、アマゾンで売ってない(・_・;) http://t.co/k0CII276 http://t.co/iqblRz1e
posted at 03:52:59

オクタビオ・パスの『大いなる文法学者の猿』の一節がここにあった。→ハヌマーンは、古代インドの物語『ラーマーヤナ』に登場する猿の神である。ハヌマーンは文法学者でもあった。『ラーマーヤナ』の作者とされるバールミーキの友人、助言者、霊感を与える者http://t.co/4gO1dbto
posted at 05:17:20

オクタビオ・パスの『大いなる文法学者の猿』 「あらゆる詩は同じことを言い、しかもその各々が独自だ」「道を歩いていくにつれて道が消えていく」
posted at 05:20:52

大いなる文法学者の猿、引越しの時以来未開封の書籍の箱がまだ何個も残ってるのだが、その中にあるきがする。でも2つ開けてみてなかった。だいぶ本を処分したのでその時処分したかも。代わりに探していた漱石論の本を見つけた(^-^)/
posted at 06:11:23

さっき自己言及の矛盾性を突破する物語性のためには、大江と村上春樹は共通して性転換の話者を必要としたという話をしたが、箱から見つけたのは漱石はこころで、日本近代文学の倫理を反転させる性転換に開かれた、とする90年代の国文学界の最大の論争http://t.co/Xp16424g
posted at 06:27:07