虚偽の記憶=分析的記述と、非分析的記憶術
デカルトが益々表象論にしかみえなくなるという、國分のスピノザの方法。
posted at 00:27:14
スピノザはデカルトの観念を表象論としてのみ受け入れ、デカルトの神証明を整序した、という國分第五章で、10年前に読んだ本を思い出した。デカルト―「われ思う」のは誰か 斎藤 慶典http://t.co/Vft6ZjvU
posted at 00:32:11
この斉藤の「我思うのは誰か」http://t.co/Vft6ZjvU はNHK出版の教養書で國分のような論証はないが、デカルトの「私」は誰でもない。「思う」とは神証明だ、という解説本。高校生でも読めるから一度読んでみるとよい。(^-^)/
posted at 00:34:11
こうした17世紀観念思想の問題は、表象論的な今日の問題でない、と攝津氏がいっていたが、カントの起源をイソノミアに求める柄谷行人も、スピノザから見れば、結局はデカルト的=分析的にしか見えない。もしかするとカント的転回である超越論も、実は幾何学的でないだけなのかもしれない。
posted at 00:38:55
だとすると、今日の問題はじつは、十七世紀の観念思想が生み出した分析や表象論の問題でしかなく、それ以外のいわば誤解は、単に解決されるしかないのではないか、と思えてくるから、國分的スピノザはなかなか味がある。ちなみに第五章冒頭ではドゥルーズの一点が批判される。
posted at 00:39:06
コギトは分析だが、神証明は総合=幾何学と言ったのはデカルトだ。幾何学とは定義から始まり定理にいたる書き方、つまり体系のことだ。しかしそのためには彼は表象論に陥る。ドゥルーズもそれに言及するが、スピノザだけが、分析VS総合を偽の対立項として触れず、コギトも幾何学で定理してしまう。
posted at 00:45:47
ところで、スピノザ的國分は、それを解決と明言し、実際私も、表象論から超越論に至る哲学的転回、つまり矛盾の単なる解決にみえてしまう。しかし斉藤の『「われ思うのは誰か』http://t.co/Vft6ZjvU という本は、証明ではなく教養本のために自他論に陥っっていたのを思い出した。
posted at 00:49:21
あ~寝た。最近疲れると身体が朦朧とする。歳なのだろう。頭は至って明晰なのでとくに身体の疲れが際立つ。連日寝不足で授業したので、身体がまだ鉛のようだ。頭は直前に考えていことを殆ど失わなくなったから、そういう苦しみはなくなったのだが、その分、身体にくるなー。
posted at 11:26:21
RT @kyototekken: というわけで、哲学を勉強してて字義的解釈つまんねえなと思ったら哲学史を学びましょう。哲研的には詩人のハイネが書いた『ドイツ古典哲学の本質』がおすすめです
posted at 11:27:56
RT @kyototekken: 哲学書の序文に「今までの哲学は○○ということに気づいていなかった、それに気づいた私の哲学が絶対のものだ」と書いてるのを鵜呑みにし、哲学史を学ばなくてもその本だけ読めばいいんだ、わからないなら字義的解釈をすればわかるようになるんだ、と思う罠。それステマで大抵の哲学書に書いてあるから
posted at 11:28:04
京大の哲学サークルからフォローされたと思ったら、國分氏が今日は京都講演なのか。ところで、國分氏の論書は、https://t.co/1qg51NFA のいわば一つの極北(極限の意)かもしれないな。https://t.co/8W9NEe5k
posted at 11:31:44
https://t.co/MyrKd3us で触れた斎藤「我思うのは誰か」。省察とか神証明で思い出したのだが、10年前に読んでまだ家の中で発掘できない。にしてもアマゾンレビューが鋭くて笑った。http://t.co/tgmsfp2S
posted at 11:56:13
2009/11/17
By 古本屋A
レビュー対象商品: デカルト―「われ思う」のは誰か (シリーズ・哲学のエッセンス) (単行本)
デカルトの「われ思う」の解説を通して、1冊の本にしてしまい、それが、また、哲学とはこういう風に考えるのだ、ということを示してくれる真面目で親切な本。哲学の豊富な知識とか「最先端」とか現代科学の知識をひけらかすこととは対極のものだ。思想とか文学とか批評といった似た領域とも、哲学の思考は断じて違うことを、静かに語っていると思った。そういう意味でよい本だ。「われ思う」の「思う」の確実性はともかく、それが「わたし」に簡単にくっついていることに対して、デカルト的懐疑への批判や疑問は古くからある。本書では、「わたし」自体が考える、思う、という機能そのものだ、としてこの手の疑問や批判を正当に回避し得たと思う。その確実性の基盤は、しかし、同時に「無限」「絶対者」を予感させる。そこから「他者」、そして、「愛」だの「祈り」だのにエスカレーション。ついに終幕を迎える本書の流れには、とてもじゃないがついて行けない昂揚感だ。デカルト的懐疑の意味と、「他者」への飛躍に就いては、個人的には好きではないが、柄谷行人が「探究」の中で、圧倒的に鮮やかに示していたと思う。無論本書のほうが、本当の哲学的な思索だとは思うが、終盤の流れはやはり踏み外しだと思う。第一、「無際限」は「有限」だが「無限」は違う、と言い出す辺りから、哲学的思惟の良くないところが如実に顔を出していると思う。「無限」とは「有限」に対する反対概念に過ぎず、その本性から言って、有限者が「無限」の内実的な概念を想定することは出来る筈もない。また、「無際限」が「無限」と同義のこともあるわけで、「有限」を「無際限」という場合は単なる形容詞に過ぎない。なのにこの手の話に拘泥し、「無限」から「他者」を経て「愛」とか言い出して終わるのは、結局本書全体のまじめな哲学的思考の良さを台無しにしてしまった気さえする。デカルト本来の直截な語り口とも違って現象学的な宿痾の語り口だった。
http://t.co/tgmsfp2S 「現象学の宿痾」は「対立項を見失う」あるいはそれ(体系)を乱す、悪しき思弁だ、という鋭いレビュー、笑いが止まらない。困ったものだ>現象学。
posted at 12:17:31
https://t.co/MyrKd3us の斎藤「我思うのは誰か」で、「我」の他者化が起こる「現象学の宿痾」というのは、スピノザ的デカルトの対極にみえた。この本探してるのだが見つからない。省察では逆順になる3つの神証明を踏まえて、我は他者だと叫んでたような。
posted at 12:24:20
古本屋Aさん楽しい。古本屋は読んでるからなーww まるで著者の「第一原因」のようなことを言い出す。神証明って原因結果論だが、そういう単純な対立項なら高校生の方が素朴で判明。現象学の宿痾は古本屋さんから見ると嘘にみえるんだろうなー。@LitoSnowfield 楽しいレビューですね
posted at 12:45:04
書籍やブログやSNSのテクストより直接的な「原因」になるディスクール(言説)で、こりゃ永久保存ものというのがあるよね<アマゾンレビュー(^-^)/ @LitoSnowfield 今ひとつに言われてしまうAmazonのレビューですが、時々鋭いものがあって油断出来ませんね
posted at 12:55:07
古本屋A氏が指摘している飛躍としてのデカルトなら柄谷行人のほうが鋭い、というのも笑った。とはいえ斎藤「我思うのは誰か」。少なくとも神証明までは國分的スピノザが言及するデカルトの解説にはなってたような。良書ではあるよ。@LitoSnowfield 単なる書評を超えた評論になっていて
posted at 13:01:01
起訴に至る記憶も、分析的記述→表象論→現象学に匹敵するぐらい不確かなんだろーなー(^-^)/ 年間75,000件以上の起訴が、第三者の記憶のみを根拠「虚偽の記憶」を減らす方法 http://t.co/Wv3BT0wb
posted at 21:36:50
朝、最近、思考を忘れて苦しまなくなった、とツイートしたけど、あれも非分析的記憶法だったりして(^-^)/ 「虚偽の記憶」を減らす方法 http://t.co/Wv3BT0wb
posted at 21:40:04
RT @motoken_tw: より一般的には、論理または理論の背景を考える、という言い方もできるかと。 RT @e_bonobono: @motoken_tw 原因と結果を明確にしてから、因果の流れを考えるように言うとよいのではないでしょかと、ふとおもいました。
posted at 21:42:49
非分析的記憶法ってのは・・・、分析的記述=超越論や評論を、原因と結果の対立項の命題にして、つまり神証明して覚えちゃうと、絶対に記憶欠損しないのよ、ってスピノザ的デカルトな話なのだけど。(^-^)/
posted at 21:44:42
そうそう、ハッカーが国家機密に一時的敗北状況?(^-^)/ @mimi_smpc000 たまたま今朝起きがけにYouTubeで「Google Analysics」のチュートリアルビデオ観てたんですが この商業用情報トラッキング技術は元々国家防衛目的で開発されたんじゃ、
posted at 22:14:42
昔ペンタゴンの地下基地みたいなDARPA(インターネットをつくったとこ)を取材で何度か訪れたが、この米国家機密であるGoogleを一般意志2.0 http://t.co/7cdtUXPN という元表象論者のノーテンキだけは、どうしても模倣できないのだが何故なんだろう?(^-^)/
posted at 22:19:47
そうそう、私なんか絶対に本心をツイートしない(^-^)/ @mimi_smpc000 本当に考えていることはネット上に公開せず、飛脚のように手渡しで情報を伝えたり、脳内だけに留めておくのがいい。情報が見えない、というのが一番の国家脅威なはず。
posted at 22:53:32
嘘つきは嘘をつかないのゲーデルみたいに、結局、政府振り回されそう(^-^)/ @mimi_smpc000 ネット上の情報が真実である保障はないのと同様、自分が与える自分の虚像を操作する事もできる。
posted at 22:58:56
つまりだ。誰も情報に真があるとは思ってないのに、Google政府はそういう幽霊追いかけてるのよね。まあ実際にテロリストはいるのだろうけど。だからテロリストじゃない私なんか、どれが真だか儀なのか、判断しないわけで。(^-^)/
posted at 23:05:31
まあ、さっきのツイートまとめブログ http://t.co/L4U1XIbn 的にいえば、虚偽の記憶からGoogleの求める真まで、っていう感じで、実際には私に真偽はないのだった。(^-^)/
posted at 23:08:24
あれは総合的分析というよりかなーりお節介(^-^)/ あの部分が機密なのかなー? @mimi_smpc000 だからフェイスブックの「お友達ですか?」機能があったり、スマホの電話帳になぜかツイッターコンタクトが繋がってきたり、位置情報が反映されたり という総合的な分析が必要なんでしょうね。 なにより、携帯電話でその人がある程度特定できる。
posted at 23:21:33
近頃のミュージシャンは漢ではないhttps://t.co/alGdh8hF とか通じない生真面目が世代的に出現してるのは事実なのよね。字義通りに全て受け取る理系脳と同じ。そしてプライバシーがあると騙されちゃう人達とか。彼らがキレた時に何かが起こるのかなー?無事であって欲しいけど。
posted at 23:40:33