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思わされるより思いたいね(^-^)/

2012.04.28

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思わされるデカルトと思うスピノザ? 思わされるより思いたいね(^-^)/

無限語義のラビ的思惟の出現 http://www.sunamajiri.com/blog/diary.cgi?no=206

以降のツイートまとめです。

2012年04月27日(金)

(読書)『スピノザの方法』読書ノート、少し再開。第二のア・ポステリオリな証明から、デカルトの神証明として有名な第一のア・ポステリオリな証明。
posted at 10:29:16

(読書)第二のア・ポステリオリな証明はスピノザによる前提の書き換えでアナロジーであると暴かれた。無限という字義は、人より広大というアナロジーではない。しかし無限をアナロジー(実在性の量)とすると、外部によって存在させられる無限、というデカルトの第二のア・ポステリオリな証明となる。
posted at 10:31:31

(読書)先程までの読書ノートをブログhttp://t.co/noLcaxzg に纏めたように、デカルトの第二のア・ポステリオリな証明は、無限に対する外部者の証明だ。
posted at 10:37:41

(読書)デカルトの外部者に存在させられる無限は、思惟によって存在させられる(つまり無限に対する外部者=思惟)だけでなく、第三者によって思惟を強いられた無限であるのは、第一証明の前提からも一貫して明らかだという。しかしスピノザはそれが誰とは問わず、ただデカルトの解説者に専念する。
posted at 10:46:51

(読書)デカルトの神証明として有名な第一証明は、観念が神の原因だというものだが、解説者スピノザにとっては書き換えの必要がない。すでに証明が依拠する公理を書き換え、無限に対する第三者が暴露され矛盾がないからだ。しかしスピノザはエチカでは全面的にこの第三者性を削除する。
posted at 10:59:00

(読書)以上、國分『スピノザの方法』五章3項まで、(自分用)読書メモでした。(^-^)/
posted at 11:00:22

萎縮というか老化はCTスキャン撮るとショック受けるよ。石灰化の塊が白い影となって脳の中のいたるところにみえたりするよ。始めてみた時ショックだったけど正常なんだそうだ。(^-^)/ @femmelets 自分の脳が萎縮しているかどうかを観察することはできないだろう。
posted at 11:25:43

解剖図とか見るのは平気なんだけど、でも脳をデカルトみたいに対象化するのはできない。たぶん医学生の全身解剖で脳だけは、直視できそうもない。何か考えるだけで力が入らなくなる。他の臓器とかは観察してみたいとおもうのだが、医者にはなれないな。@femmelets
posted at 11:36:28

思えば、このデカルト的というか、オブジェというか、特にビジュアルで性対象を客体視するという男性性だけは、どう頭捻っても理解できない。男子ってポルノみて興奮するんでしょ? ゲイの人に女性のヌードみせたら、そのままトイレに直行して吐いちゃったけど。@femmelets
posted at 11:39:12

この性対象を視覚的に捉えて、萌えたり興奮したりという、男性的な精神構造は、完全に謎なのだ。そう考えるとデカルト的なものって、単に女子の二次元に萌える男子にしか見えない。対象化、客体かというのが、生理的に理解できないレベル。ポルノ男優に同一化するのかな? @femmelets
posted at 11:41:54

うん、私もポルノとか、あとビジュアルみたいなもの、AKBでもなんでも、もし感情が起こるとしたら、そこにビジュアライズされてる女の子に、同一化(自分を重ね合わせる)ことしか絶対に出来ない。ピグのアバターみたいにみえる。@femmelets 私はポルノは全然見ないです。
posted at 11:43:44

うん、二次元文化なんて、その先鋭化にみえるし。客体化原理主義みたい(^-^)/ @femmelets 人間の感官は視覚だけではないし、性については触覚が重要なのは当然でしょうが、視覚優位に考えられてしまうのは不思議ですよね。
posted at 11:45:31

なんていうか、それがスピノザ的にというか、では、表裏一体、神がいることとおなじになっちゃうのが、すごいわね。性的にもスピノザは自分自身が欲するのに、デカルトだと見た対象に刺激されて欲させられる、とかなるしww @femmelets 私自身は神はないと思う。あらゆる意味で。
posted at 11:50:02

今日は哲学の日として有名なんだそうで、哲学しております。性は対象なのか、という哲学になりそうですが。欲してるのに、欲させられるというデカルトによって、私達は近代的自我になったらしい。一度でいいから、欲っさせられてみたい。(^-^)/
posted at 11:53:05

どんな神なんだろう?((((;゚Д゚)))) @femmelets どうみてもスピノザは彼なりの「神」を第一原理にしているからです。
posted at 11:56:31

でも私がいるらしいじゃないですか、あの國分氏の流れでは。@femmelets 神/世界/私はただの信仰であり虚構かもしれません。しかし、神も世界も私もないのだと考えながら生きるのは非常に困難でしょう。
posted at 11:59:17

この神VS自然は難しいですよね。宇宙に外はなさそうだし。(・_・;) @femmelets ネグリは神さえ省略すれば、能産的な(生み出す)自然が残るからいいのだと思ったようですね。
posted at 12:00:32

そこまではわかるんです。@femmelets 『デカルトの哲学原理』においてまず「考える私」の存在が確証されるのは自明ですが、スピノザそのものは絶対無限の神即自然から開始したと看做すべきでしょう(『エティカ』)。
posted at 12:03:53

たしかに。それはくだらなすぎる。@femmelets スピノザを論じる上野修などは、無神論者がいかに神を「信じる」かという問題にしてしまいますが、私はくだらないと思います。スピノザを盲信するとそうなります。
posted at 12:08:47

RT @femmelets: 神/世界/私はただの信仰であり虚構かもしれません。しかし、神も世界も私もないのだと考えながら生きるのは非常に困難でしょう。
posted at 12:09:11

RT @femmelets: ネグリは神さえ省略すれば、能産的な(生み出す)自然が残るからいいのだと思ったようですね。
posted at 12:09:14

RT @femmelets: @ただ、太古の昔から、多数の(無数の)世界、宇宙が成り立つという主張は結構多くあったようです。
posted at 12:09:21

寧ろ分からないのは、対象化している側の主体が自我だという同定の方。相手を見ている自分に酔ってるのが自我なのかと思えるほど、個人的には生理的に理解できない。病気なのかなー?(・_・;)
posted at 12:15:19

先ほどの性対象の話でいえば、なぜ対象に萌えられるの? 性が欲動なら、それは対象から来るのかな? 自分から起こるのだと思っていたのだが。相手によって「私」にさせられる、という自我観は生理的には、よく分からない。(^-^)/
posted at 12:16:07

ちょっと哲学の日だから、考えてしまったけど、生理的に理解できないので、そろそろ寝るのだ(^-^)/
posted at 12:16:53

RT @Novalis_bot: 学問はいずれも―哲学となったあとに―ポエジーとなる。 『一般草稿』
posted at 21:01:41

RT @Novalis_bot: 数体系は、真の言語記号体系の模範である―われわれの文字は数に、われわれの言語は算術になるはずである。 『数学ノート』
posted at 21:04:50

ノバーリスbotのアイコンがイケメンというか美しくて参ってるとこ(^-^)/ QT: http://t.co/iutZskPQ
posted at 22:33:20

画像はhttp://blogs.yahoo.co.jp/uuatanabetakahiko/10020873.html
より、広隆寺の弥勒半跏思惟像