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魔女化させるテクストたち

2012.05.22

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魔女化させるテクストたち

幾何学ではない神はテクストにしかいない。それは欺かない神だから、欺く神に対抗する「私」や自我などは、ただいない。さらに、それは与格の「私」で、懐疑論の近代化であるコギト命題は、じつは「彼思う故に彼在り」なのだという。

一方、信仰告白はゲイのカムアウトの儀式になったが、そうテクストを読む私はまるで魔女のようだ。そういう文脈の週末を挟んだ、自分用ツイート切抜きメモ帳です。


2012年05月16日(水)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120516

さっき、「スピノザを神即自然と読むと、幾何学としての言語が歪んで受容される。日本の西欧化でことさら言われる自我性も、実はそうした歪んだ幾何学が原因?」と、http://t.co/syYEcsTy 纏めたが、自我論は自己が不可解なのではないだろう。
posted at 10:21:01

それこそ文学論としてこそ真価のある柄谷行人https://t.co/3wQETEeE ではないが、日本の近代化でことさら言われる「自我性」とは、他人の心が不可解だというだけだ。自己の存在論という非科学が、近代にあるというのは、おそらく何らかな病気だろう。
posted at 10:24:46

スピノザを神即自然と読むと、幾何学としての言語が歪んで受容される。日本の西欧化でことさら言われる自我性も、実はそうした歪んだ幾何学が原因?という文脈のツイートの自分用切抜き。http://t.co/syYEcsTy
posted at 10:28:44

自分が誰だかわからない、などと普通考えるだろうか? そんなものが「近代的自我」であるわけではない。そうした歪みからは他人が分からない、ただそれだけだ。ことさら自我の哲学をすることに意味があるとは、思えない。
posted at 10:29:59


2012年05月17日(木)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120517


2012年05月18日(金)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120518

最近、朝は隔日で音楽とスピノザを往還する。昨日今日は音楽だったのだが、朝だけ読む國分氏スピノザの方法を少し。神がテクスト内にある言語の幾何学性とは何か? あるいは神を排除した非明示的なテクスト性という反証について・・・・。 http://t.co/DPhKtJPM
posted at 12:11:05

(読書)あらゆるテクスト論は、テクスト中の命題や語彙が、テクスト内の何を指すのかという論であるべきだが、前項では、所与の真という観念が、デカルトのように太陽の知覚ではなく(非十全な観念)、幾何学という真理が明晰判明なものを指示対象としていることが、検証された。
posted at 12:13:31

(読書)http://t.co/DPhKtJPM の項では、エチカという方法では説明するが、知性改善論では説明しないものが、知性であると、指示論証される。自己原因は知性を説明しない。知性を説明するのは方法であり、それは方法論とは異なる。ゆえに方法が十全な観念だ、という指示関係。
posted at 12:17:42

(読書)知性を説明するのは、自己原因ではなく、真理のある幾何学的な説明であり、それが十全な観念という指示関係。説明=言語は幾何学的でなければ、神を含むことができない。それ以外の説明では、単に神が(テクストの)外部にあることになる。
posted at 12:20:10

(読書)このいわば(スピノザに対する)テクスト論的転回は面白い(ただし國分氏のテクスト論は、やや循環論的で、その検証は後日に譲る)。なぜなら、テクスト内に実在する語彙(方法や幾何学や神)が、テクスト内で何を指し示しているのかを、厳密に有意味化できるからだ。
posted at 12:27:34

(読書)極論すると、それはテクストから「神」という語彙が排除や非明示化される経緯をも反証するに過ぎない。神という語彙が言説から排除されるのは、単に先行するテクスト内部の神という語彙の、指示内容を誤読することでしか可能にならない(と思える)からだ。
posted at 12:32:41

(読書)しかし、こうしたテクスト論(テクスト内での厳密な指示対象読み)は、「歴史的」な説明とは異なり、解釈学的であり、私のテクスト読みのスピードが、この20年で著しく劣化していることを突きつけてしまう。だから、とても頭にきているのだがw しかしただ読む分には面白い。(^-^)/
posted at 12:37:09

スピノザはどんな問題かというと、いわば煩悩の話。様々な欲望に苦しむスピノザは、ある気づきが欲望とも折り合ってしまう。それを他人に解説しようと知性改善論を書くが、その過程でデカルトとは異なり、厳密な幾何学で神を表現することでしか、それを他人に説明できないと気づいてしまう。そんな話
posted at 12:51:50

近頃の健康的な性の話https://t.co/GCMpFoto をみていると、神を幾何学としないでも、煩悩とは折り合ってる人が多そうなので、殆どの人には必要のない話のようにも思えるのだが、私にもあんまり必要なさそうだが(^-^)/
posted at 12:54:00

https://t.co/3a7hb7Qb 思わず、(スピノザの)「オナニズム的転回」って言葉https://t.co/8UMHUcWK が浮かんだが、叱られそうなのでやめた(^-^)/
posted at 13:03:48


2012年05月19日(土)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120519

RT @curatorshinya: デカルトがコギト、すなわち「我思う故に我在り」という物心二元論を説くに至った背景には、イエズス会出身の彼が三十年戦争にてカトリック派のバイエルン公の軍隊に従軍したことが大きく影響しており、故に三十年戦争開始翌年の「1619年11月10日、学問の驚くべき基礎を発見した」のだろう。
posted at 09:48:08

RT @curatorshinya: しかしデカルトは、自らの庇護者エリザベート王女からの「心とからだの関係」に関する質問に対して、「精神と身体との合一を理解するようになるのは、生と日常の交わりだけを用い、省察したり想像力をはたらかせるものを研究したりすることをさし控えることにおいてです」と説いている。
posted at 09:48:13

RT @curatorshinya: つまりデカルトは、心身二元論と自らが言っていることは学問上の理論であり、日常生活の場面においては心とからだは一つだと述べたと思う。このデカルトの述べる二元論の矛盾に、マラーノであるスピノザと三十年戦争を経験したライプニッツは十分自覚的で、二人はきっとそういう話を交わしたのだろう。
posted at 09:48:19


2012年05月20日(日)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120520

若い哲学論文に何か病理がある気がして読んでる。たとえば國分氏は相似の論証が連続するが、前までの論証との差異が明示的ではない。これは柄谷行人の断言体とはどこか正反対だ。あれ?またそれ?今までの論証と何が違うの?が明示的でない? http://t.co/wizp1ok4
posted at 00:14:34

そのために、Evenoteに命題をメモりながら精読しないと、論述自体を見失う。画像は第六章読了時のノート。幾何学は真偽のある虚構だが神は虚構ではないとした知性改善論は、個物と神を同列定義するエチカの方法になっているか?という問。 http://t.co/cUZEKAVz
posted at 00:17:51

つづいて國分第7章冒頭。エチカは著者名を含む論述の外部を必要としない匿名的テクストだ。から始まり、知性改善論では定義で(神の存在を)証明しようとしていたが、エチカ冒頭の定義は証明が不要な神の命名だ、という趣旨。 http://t.co/j5rJL66K
posted at 00:21:40

荷物は、じつは河出の思想体系全集を2千円(ゴミみたいな値段)で落札した荷物だったのだが、和訳低本の畠中訳ではない、高桑訳のエチカ冒頭の定義の翻訳は、凄まじいことになっている(・_・;) http://t.co/Qu3H80Cz
posted at 00:28:18

國分本の同箇所は、畠中訳+國分訳かはまだ確認していないが、ちょっと違う。いずれにせよ、知性改善論の定義と異なり、エチカでは定義は用語の命名(凡例)で、証明が不要だ。 http://t.co/gKehg00E
posted at 00:30:54

個人的には、1)日本のスピノザ受容(訳出と言説化)、2)ポスト東というか國分氏の世代の哲学論の文体に直感する、何らかな病理の解明に動機づけられて、国語読解としてテクストを読んでいる。
posted at 00:32:10

今日の読解は、行き帰りの30分ずつの電車で、1時間足らずの読解だったけど、ちょうど第七章に移行した時に、証明がどっかいって、命名に変わった、言語論的転回を通過した気分だった。
posted at 00:33:04

清水禮子の破門の哲学というスピノザ論http://t.co/FWJDK5mG も数百円でゲットしたから、半分ぐらい読んだが、同じく東大の博論なのに、別に引っ掛かりもなく普通に読める。國分のあの膠着的論法は何なんだろう? ちょっと病的に思えてきている。命題を探りながら書いてるのか?
posted at 00:58:28

RT @femmelets: @sunamajiri @slitsandfrills どうもどうも。私は、宗教が大嫌いなのですよ。アウグスティヌスや内村鑑三が文化遺産であることとキリスト教を信じるかどうかは全く別問題です。私は宗教を信じてみるつもりは絶対にないですね。性は端的に自由なだけですよ。それだけです。
posted at 01:28:41

スピノザみたいに2回破門されちゃうわよーwww それにしてもアメリカは文学やエンタメから大統領演説まで信仰告白なのに対して、私達ってなぜか無信仰潔癖告白の文学になりそうなのよねー(^-^)/ @femmelets @slitsandfrills
posted at 01:28:49

なんか清水禮子の破門の哲学この前読んだら(半分まで)、冒頭にリベルタンがいっぱいうようよしてた(^-^)/ @femmelets 私はデカルトやスピノザの神すら信じませんからね。私はリベルタンです。
posted at 01:34:19

RT @slitsandfrills: 私も事実として信じているかと言われると信じてませんねw 聖書w RT @femmelets: @sunamajiri 無信仰潔癖告白とかではありませんよ。ただ単に、事実として信じないだけです。どれだけ非人間的であろうともね。
posted at 01:53:27

RT @femmelets: @slitsandfrills @sunamajiri 私が《事実として信じない》といったのはそういう意味ではありませんよ。『聖書』が一字一句事実かどうかというようなことではなく、《私は信じない》ということが誰にも決して覆せない事実だと申し上げているのです。
posted at 02:10:45

RT @slitsandfrills: 面白い文章を書きますね。信じる、信じないはあなたの内面的な精神作用だと思いますが、それを外的な客観的事実かのように提示するんですね。「私は信じていない」は事実ですがね。@femmelets @sunamajiri 《私は信じない》ということが誰にも決して覆せない事実だと申し上
posted at 02:25:51

(RT引用中略)

なんか↑の対話、信仰者を説得(共有)することに腐心したデカルトに対して、スピノザが「分かることを分かる」を共有しようとせず、言語論的な転回(言葉の定義)だけになったというのと、無神論者が無神論を、他者と共有したいというのは、メビウスの輪の表裏みたいに感じた。(・_・;)
posted at 02:49:19

信じるという問題は、多分社会的ということなのだろうが、社会的でない私はいまいち分からない話。信仰者でも無神論者でもない気がしているのも、そこが原因なのね。何も他者と共有したがらないという点で。よくわらんが(・_・;)
posted at 02:53:02

茅ヶ崎北口政治演説合戦で何かと思ったら、一方は映画の宣伝だったのだが、皆遠巻きで近づかない。何かと思ったら日本奪還という新興宗教の映画だった。みてたらスタッフが説明にきて、日本を中国から奪還するとかいってる(´・_・`) http://t.co/LvaQkaNO
posted at 15:26:50

なんかその(新興宗教の)映画、昨日のhttp://t.co/YoZd1Mjq じゃないが、無神論者から信仰を奪還する物語力学(懐かしい造語だ)なのが全く笑えない=イロニーの不在を感じて怖い(´・_・`)
posted at 18:37:24

言説に一義的に真に受ける人っていないものと、いつも一貫して捉えてるんだけど、真に受けるてる人って本当にいるんかなー、私の周りにはいない。@femmelets QT: http://t.co/HsBm2o3b
posted at 23:43:27

電車の中で永井均の西田幾多郎・デカルト論、思う故に思いあり、なるとこを読んでたら、電車と溶け込んで、ねんこしちゃったよ~(^-^)/
posted at 23:57:31


2012年05月21日(月)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120521

「妄想世界の痴的洞察」って書いてあるよー(^-^)/@virusyana 「太陽は本当に核融合で輝いているかどうかは分からない。光彩よりも周囲のコロナの方が桁違いに高い温度を示すことから、実はプラズマ発光しているのでは?とも考えられており」http://t.co/kJa0TAJ4
posted at 21:22:19

RT @LitoSnowfield 腐女子さんがあるのだから…腐男子さんもいらっしゃる…のだろう(*uou)>
posted at 21:23:45

うん、オタクの生徒に前きいたら、いるらしい。でもどういうシロモノかがいまいち理解できなかった(^-^)/ @LitoSnowfield 腐女子さんがあるのだから…腐男子さんもいらっしゃる…のだろう(*uou)>
posted at 21:25:45

私もそうなのかとおもってたけど、腐女子とおなじように、男子同士を妄想して、しかもゲイではない、とかいう話を生徒がしてて、びっくりした(^-^)/ @LitoSnowfield 女性同士のアレコレを妄想
posted at 21:29:02

え?なんで?(・_・;) @murarumi428 私って鬼!?
posted at 21:31:05

たぶんコミックの世界では、男子同士は女が読んでも男が読んでも腐りものなのかしら? それに対して女子が描かれると萌えるのねきっと、と思った・・・けど違うのかな? コミック(動物が出てこない人間の擬人化)は全く読まないからわからん(^-^)/ @LitoSnowfield
posted at 21:33:24

どうもコミックやアニメでは、女は萌えと表象され、生物学的な男は、女から見ても男から見ても生物学的に腐りものと表象されるってこと? と単純に感心したけど、違うのかしら?(^-^)/ @LitoSnowfield 私も…マンガは読みますが…あまり分からない世界です(
posted at 21:42:27

うん、でもアメリカで文学研究って、こういう妄想の研究だから、ほとんど同じよ。日本だと文学研究って事実の研究って妄想してるけどw @virusyana フルスロットルの煩悩ですから。w 薫さんは近づいてはいけませんよ。w(^o^) @sunamajiri 「妄想世界の痴的洞察」
posted at 21:43:42

いやー、女同士のレズものは、男女読者とも腐じゃなく、たぶん萌えなんじゃない? ちがうのかなー?(^-^)/ @LitoSnowfield 腐りモノ…あはは(笑) まぁ…同性同士というのは男性、女性にも昔からありましたからね(笑)
posted at 21:50:23

たぶんそうなんでしょう。男子ってゲイ多そうだしねー。でもゲイとは違うらしい。彼らの心情はよくわからないとこがあるよー(^-^)/ @LitoSnowfield 腐女子さん達が感心する作品のレベルが上がったので男子?も読むのでしょうね
posted at 21:52:09

でしょ?日本人は生物学マシンだから意外に妄想が単純よ。でも、もっと恐ろしいのは、おばさん=鬼? レディコミとかって、メンヘラとかすごい物語性になってそう(・_・;)@LitoSnowfield 男性同士=腐 女性同士=萌え
posted at 21:54:57

そうかもねー。ホモフォビアがレズになれるとはおもえないけど、男子の場合は潜在的にそうだって聴いたことあるよー(^-^)/ @blueshaven ホモフォビアはゲイだと見て間違いないみたいです。 @LitoSnowfield
posted at 21:57:37

いや、そうでもない気がする。まだホモフォビアの裏返しの男子のゲイ願望なんてカワイイもの。こわいのは萌えられなくなった鬼が、レズっぽくなっちゃう物語性だと最近感じてる(・_・;)@blueshaven あ、なんか外したリプライみたいで失礼しました(笑)@LitoSnowfield
posted at 21:59:00

いわゆるヤオイ(女が男子のゲイに憧れる)は、10年前の文学研究の最前線だったしねー。でも底から分かるのは、萌えられなくなる主体は、読者という主体になるしかない、みたいな話だったような・・・。男子はいつまでも腐れるからいいのよねー。女は鬼になる。(・_・;)
posted at 22:00:57

え~~。それは知らなかった。バカに詳しいですねーww 勉強になった(^-^)/ @LitoSnowfield あは(*^o^)> それを…“ドンデン”というらしいですね(笑)@blueshaven
posted at 22:07:25

ジュネーヴ大の日本古典文学の先生が、源氏もなにもかもゲイの話で読み替えちゃって、いやーちょっと違うだろう、昔のヤオイの話ならわかるが、といつもおもってたんだけど、よくわからない。
posted at 22:08:45

ちなみに、ヨーロッパで大学の教授は間違えなくほとんどゲイなので、ゲイでないとアカデミズムの人脈がつかめない。大学だけでなく政界や経済界もアートもだけど。だからゲイを自称する人が多いって聴いた。ヘテロは労働者階級とかなりバカにされるらしい(・_・;)
posted at 22:10:45

うん、男子はゲイとカムアウトしないと、ヨーロッパでは多分出世できないんだって。アメリカだとちょっと違う気がするけど。女子はその蚊帳の外。(^-^)/ @slitsandfrills へー
posted at 22:21:48

http://t.co/y46f4Uy3 永井均の西田幾多郎論楽しい。コギト命題=デカルト循環(欺く神に対して疑いようのない私)を、スピノザなら幾何学的に画定するが、永井によると西田は、私を与格にして、彼思う故に彼ありにした~ http://t.co/hqncGI21
posted at 22:19:18

現代では、ゲイのカムアウトがヨーロッパの信仰告白にみえ、アメリカはそれに抵抗してるようにみえちゃって、萌えを表象する日本の男子の生物学的な私が、与格に見えちゃう。さて懐疑はどこにあるのか?(^-^)/
posted at 22:29:08

デカルト的循環=懐疑の近代化?は、國分さんがうまくまとめている。欺く神があってこそ懐疑があるという話。スピノザはそれをスルーするが、西田幾多郎はどうしたんだろう、というのは日本の近代的な言説で、一番面白い話に見える。(^-^)/ http://t.co/qYvWBRic
posted at 22:33:14

信仰告白の近代化がゲイのカムアウトの儀式になって、アメリカは陰謀的に何か抵抗する文学(的妄想)に見える、とかいうと、私は自分が魔女ではないかと、最近良心の呵責が募ってきているのだった。だって何も懐疑がないから(・_・;)
posted at 22:34:55

永井の西田論鋭い。欺かれることが無いのよね。だからか近頃の入試国語で西田幾太郎が通奏低音に感じるのは、魔女的陰謀論なのかしら?(・_・;) http://t.co/qANu49bS
posted at 22:47:52

2012年05月22日(火)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120522

魔女化?(^-^)/ 『ブレードランナー』、女性主人公で続編制作へ http://t.co/IjyGECzK
posted at 00:32:50