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國分功一郎氏の方法は分からせたのか?

2012.06.07

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■分からない人もいる。その素直な結論。

この本を読むまで、国語を教えていても、分かるを他人に伝授するのが、さほど困難とは思えていなかった。しかし、世の中には、いくら分からせても分からない人が存在する。それを素直に認めて、気が楽になれたのかもしれない。

懐疑論者(分からない人)はスピノザに自我ではなく神を見る。だから自然即神や倫理という狭い受容となる。しかし、エチカは、神の証明手続き自体を解消し、知性(分かること)の問題へと解決する。

國分功一郎氏の『スピノザの方法』は、デカルト的循環(懐疑論者を説き伏せるコギト命題の矛盾)に真っ向から立ち向かったスピノザの軌跡を、周到に取り出す。その論述はまるでオブジェクト指向のように、関数の入れ子が相次ぐ。そのため小出しに精読するはめになり、読了に時間を要してしまった。

日本語の近代化にとって、こうした17世紀の問題は、ストレートな問題意識を呼び覚ます。


2012年06月05日(火)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120605

『スピノザの方法』、國分氏の方法、つまり言い換えや証明を捉えるためにじっくり精読したのだが、いま本論やっと読了。 http://t.co/cEX6kyKt
posted at 20:00:10

懐疑論者を説得するデカルトのコギト命題が回避したコギトの状態描出で方法を得たスピノザは、無神論者の説得ではなく神の状態描出から存在証明を完成させた。スピノザの方法とは描出から導出する名目の破棄だ…という第3部結論部でした。http://t.co/cEX6kyKt
posted at 20:09:40

描出なき導出、それは神とは何か?の前に神の存在を証明してしまうデカルトのことだ。この神とは何かを回避するとデカルト的循環が生まれるに過ぎない。しかしそれは単に懐疑論者の説得のためだった。よってこれは哲学の解決だ…ということらしい。http://t.co/cEX6kyKt
posted at 20:25:27

國分テクストの手続き的な文体は、最後はかなり乱暴な畳み掛け(何を指示しているのかの明示も曖昧にした言い換えの連続)で、玄人っぽさがないのは好感が持てたのだが、言っていることが鋭いだけに、もう少し論述にキレが欲しかった印象を否めなかった。
posted at 21:08:57

特に、この十七世紀の問題は、哲学の基本語彙(存在などだけでなく、構成や表現)に対する論述になるが、記述の中の語彙が、スピノザの原文の用語を指しているのか、意図的にズラされているのかが、黙示的になることが多い書き方で、まるで高校生に出題される指示内容問題の集大成のようだった。
posted at 21:18:38

興味としては、指示関係が曖昧な論述スタイルが、なぜ生まれてくるのか、という病理分析だったのだが、そろそろ帰宅なので、また今度考えよう。
posted at 21:20:13


2012年06月06日(水)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120606

物語論に後説法というのがあって、読んでいけば後でなるほど、と思えることを先取りして書いていたりするのだが、國分氏の論述、総括まで来ると別に何の疑問も残らない。ただその過程では、関数の入れ子みたいになって、どれがどれの言い換えだか、あまり明示的ではない。
posted at 00:19:42

しかも、指示語が全部哲学の基本語彙ばかりで、スピノザの原文を指しているのか、それをズラして別の意味でその語彙をそこで使ったのかが、数ページ読み進めないと確定しないような書き方。これも後説法のようになっていて、結末に来ると全部関数が解けるみたいな塩梅。
posted at 00:22:52

どんな文も一筆書きではなく推敲を重ねるものだが、何度も博論が却下されて書きなおしたということなので、ちょっと複雑怪奇なところがあるようにおもえた。少なくとも素直に読み進められる文とは言えない。しかし、内容は大変鋭い。
posted at 00:24:21

指示語を関数の入れ子のようにする、この國分氏の博論の独特の論述は、まるで受験生が指示問題ばかりやらされた挙句に書くような、独特な構造をなしている。これは日本の教育の一つの集大成を成す文体に思えたほどだ。
posted at 00:28:30

ふつう文章は論述文でも、何らかな要約のしようがあるのだが、國分氏の文は、すべてが要約の連続のような書き方で、その関数の解法が示されるまで、要約が不可能な文脈が多々あった。
posted at 00:32:22

文体としては、どこか読み手を統合失調のような迷路に誘いかねない文なのだが、書き手は神の視点のように、予め全て分かった上で小出しに論証を重ねる。なので、研究者以外は寄せ付けない文になっているのだろう。
posted at 00:33:54

文はふつうA対Bが何かの理由で対比されて、その同質性が言明されたりするが、最後の最後まで、あえてテクスト外の情報を無視すると、論述がAに収まるのか、Bに収まるのか、ハラハラさせられる文脈になっていた。そういう意味ではスリリングだ。
posted at 00:35:48

たとえば結論では実体の系譜学という関数がでてくる。これはエチカの定理8までと9以降を区別する手続きを総称するものだが、それがエチカにとって真なのかとおもったら、その手続の破棄が真だ、と結論付けられる。その最後に言及されたのがデカルトだった。http://t.co/cEX6kyKt
posted at 00:41:52

この後に最終総括が1見開きくるのだが、知性にとっての矛盾(それは懐疑論という矛盾でもある)が、スピノザの名目から実在に向かった手続きでどう解決されたかが纏められ、それが恐らく哲学のあらゆる問題への鮮やかな解決に映じて見えてしまう。http://t.co/WKHxYfS1
posted at 01:01:38

結論はこの第三部の次に数ページくる。そこではこの問題が、分かる人が分かることを他人に伝えられない、という問題であると克明に示される。
posted at 01:51:44

デカルトは、その分からない懐疑論者に、お願いして説き伏せる。そのためのものがコギト命題だが、スピノザは淡々と方法を示す。それによってコギト命題がもたらす全ての、分からないという事態、無限ループに陥る懐疑論という哲学の基本問題が解決しているのだと、結論されているように思えた。
posted at 01:55:12

これは昨日、芦田先生の吉本隆明論で、自己表出(自分だけ分かる)と、指示表出(分かるを共有する)に似た問題に思えた。しかし吉本が解決できなかった問題を、確かにスピノザが解決しているように思えたのだから、國分氏の立論は当然、成功しているように見える。
posted at 01:56:44

國分氏は、スピノザの方法は従って教育論だと結論で述べていたが、日々、人にモノを、しかも文の理解を教える仕事をしていると、この自分が分かるということと、相手に分からせることの違いを、人一倍意識してしまうのだが、その意味では大変面白い論考だったと思う。教育者は読むべきだ。
posted at 01:59:20


2012年06月06日(水)午後
http://twilog.org/sunamajiri/date-120606

大著とはいえないのに、昨晩もツイートしたように、独特の読みづらさから、小出しに読んでいた國分氏の『スピノザの方法』昨日読了して、清涼な読後感だったためか、何か口寂しいのであった。
posted at 18:28:02

コギトや神観念を日本語が受容するにあたって、とんでもないミッシングリングが生まれていることだけは確かなのだが、國分氏の提起した、懐疑論者(わからない人)を分からせる必要がない、という問題は、日々現代文を教える立場としては、大いに考えさせられてしまっている。
posted at 18:28:19

独特の読みづらさというのは、オブジェクト指向というか、関数が関数の入れ子になり、そのうち値が、どちらの概念を指しているのかが、明示されないような書き方の病理だったという点なのだが・・・。
posted at 18:32:35

もちろん、このオブジェクト指向みたいになるのは、スピノザ自身の問題なのだろう。それを例えばヘーゲルのように、そうではないと受容することで起こった誤解を解くためには、また概念の入れ子のような、妙な書き方になる、という話なのだと思えた。
posted at 18:35:38

國分功一郎『スピノザの方法』を纏めれば、『知性改善論』が示唆する2つの逆説は、懐疑論者の説得の要請で生まれたデカルト的循環(コギト命題)を再定式化し解消した結果、名目から実在性を証明した神という証明手続き自体が解消され、知性・教育(分かること)の問題に解決された、という感じだ。
posted at 18:45:10

https://t.co/bQv506lS なお、私が「神の証明手続きの解消」と更に関数化したものは、國分氏の文中では「実体の系譜学の破棄」という関数で呼ばれていた。いずれにせよ、それが解消されたのは、分からない人(懐疑論者)を説き伏せるのではなく、導く合理性を得たということだ。
posted at 19:03:13

したがってこれは、國分氏が結論で明言するように、ある種の教育論になっているという点だ。わからない人に無理強いするためにはコギト命題が要請されたのだが、そこでの神は信心される神だ。しかしエチカ冒頭で破棄される神の証明手続きは、知性に矛盾なく合理性を導出してしまう。
posted at 19:07:40

この國分『スピノザの方法』が突きつける、分からない人を本当に分からせる、という問題は、現代文の授業で毎回頭が痛いのだが、昨晩指摘したように、国語教育における吉本隆明氏の「指示表出」の焦点化ともつながっていて、大変興味深い。https://t.co/1DOcqztU
posted at 19:11:28

スピノザの「神の証明手続きの破棄」の最大の誤解者は、私にはヘーゲルに見える。https://t.co/6yqoXdEz 。ヘーゲルの言う精神とは、証明手続きとしての自己原因の以前にもう一度信心する神を宿すという程度の問題のはずだ。
posted at 19:25:23

そのヘーゲルの精神云々について、もはや現代文の国語教育からは、省みられなくなった小林秀雄が、こんなことをいっているわけだ。https://t.co/sqoaZK2W
posted at 19:27:04

もちろん、世の中、分かれば天国、分からなければ地獄というだけなのだが、分からないのではない教育者は、頭が痛いのである。だが命を削ってまで教えるつもりは毛頭ないのであった。(・_・;)
posted at 19:30:31

(とくに)男子の生徒は苦手だ。現代文と自分のプライドを天秤にかけて落胆したりして、きのうも参った。女子は言語論的転回していて、一々、文中の神や存在と自分を天秤に掛けるような、妙な感情論的読み方はしない。男子って大変よねー、文と自分の背比べばかりするよ。(^-^)/ #国語教育
posted at 19:51:20


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