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パズル化された存在と指示表出の問い

2012.06.05

ファイル 226-1.jpg

2012年06月02日(土)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120602

読解塾最初の授業終わって暇になったので、スピノザの方法~334pのテクスト読み。対立項は、各属性によって表現された実体の本質に対する、無限に多くの属性を有する実体の本性。本質を表現する属性を無限に多く有する実体の本性。 http://t.co/9qclFN0R
posted at 19:18:55

エチカ定理八までは、語の関係性から実在を証明し、定理九以降は実在から神存在の証明へ、という移行はどのようにして可能か、という國分氏の論。八までは、一つの属性が表現する本質、九以降は、無限に多くの属性を有する本性。 http://t.co/se8xzNFb
posted at 19:40:08

いくつかの対立項。名目から実在の証明vs実在から存在の証明。結果から遡行する証明vs原因となる観念の中での証明。実体の本質を表現する各属性vs無限に多くの属性を有する実体の本性。
posted at 19:57:44

メモ。エチカ定理八までが、前段の仮定に基づき結果から遡行する用語の関係性の証明(実体の本質を表現する各属性の証明)。九以降は、無限に多くの属性を有する実体の本性を、原因となる観念(言語)の中で証明。 http://t.co/LBtwKKQo
posted at 20:01:18

國分氏によると、書簡集に残るエチカ草稿の痕跡から推論される蓋然性として、エチカ定理八までと、九以降の証明対象の変更は、こんな対立項(画像下部)として描けるようだ。ややこしい。 http://t.co/7XwGVsEF
posted at 20:25:31

RT @ya039_kiyoshi: @sunamajiri スピノザの定義によれば、実体は一つであり、それは神のことを指していますね。
posted at 20:25:47

そうですね、たとえば自然や、実体の本質を表現するものとしての一つの属性ではなく、実体の本性は一つ、つまり神ですね。RT @ya039_kiyoshi: スピノザの定義によれば、実体は一つであり、それは神のことを指していますね。
posted at 20:27:29

授業が暇だから、ホワイトボード使って、論述の対立項を抜き出しながら、読んでいる。図解しないと、誤読しそう。(^-^)/ http://t.co/8x84hArA
posted at 20:32:27

属性め、勝手に思惟していろ(そんな現象が何だと言うんだ。この不存在者めが)(^-^)/
posted at 20:50:28

RT @LitoSnowfield: あ…独特な書き方をなさっていらっしゃるような感じがします(^o^;)> 一つ一つの言葉と関係を押さえて行かないと行方不明になりそうです(*uou)⁇
posted at 20:52:15

RT @LitoSnowfield: @sunamajiri このややこしさが日本語の特質に関わっているのかも知れませんね~…(*u_u)⁇
posted at 20:57:09

なんかそんな気がする。日本語は自己化する属性と親和性が強そう。本性は語らないな。 RT @LitoSnowfield: このややこしさが日本語の特質に関わっているのかも知れませんね~…(*u_u)⁇
posted at 20:58:31

RT @LitoSnowfield: @sunamajiri 日本語はど真ん中をスパッと直接に指摘するのが苦手なように感じるときがあります…(*^o^)>
posted at 21:30:04

んで、属性の変な自我のつもりになって、思惟しすぎたり、本物の偽物に表象したりするのかしらねー?(^-^)/@LitoSnowfield QT: 日本語はど真ん中をスパッと直接に指摘するのが苦手なように感じるときがあります…(*^o^)>
posted at 21:32:17

RT @LitoSnowfield: @sunamajiri あ…先日の紛い物に繋がるような…なんて(*^o^)>
posted at 23:31:27

そうそう。紛い物=表象に翻弄される思惟する(バカ)自我=アイデンティティーみたいな。なんか思惟=属性って今でいうアイデンティティーに見える。本性じゃない仮面になり切りみたいな。RT @LitoSnowfield: あ…先日の紛い物に繋がるような…なんて(*^o^)>
posted at 23:37:56

アイデンティティーだけは受け付けない。属性も。思惟する自我にだけはなりたくないよー(^-^)/
posted at 23:41:28

これから、現象とかいって思惟するバカみたら、この属性め、いつまでもアイデンティティーしてろ、と罵倒することにした。まあ二次元とか表象のほうが、たしかに(本物より)カワイイという気持ちは分からないではないけどねー(^-^)/
posted at 23:48:44

思惟してないで愛してると言え、属モノどもが(^-^)/
posted at 23:49:13


2012年06月03日(日)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120603

量としての実在性(realitas)に対して、属性量による存在(esse)。デカルトが(事物を)実在性の量(リアルさ)で神観念化したのに対して、量をいわば属性化することで、観念(言語)にいわばア・プリオリにある神を単に証明すること。 http://t.co/ASBoj4lA
posted at 20:22:43


2012年06月04日(月)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120604

おお、スタトレヴォイジャーみたい(^-^)/ RT 【タイムパラドックスを回避する方法】いわゆる「親殺しのパラドックス」問題。こうした矛盾を回避するという「事後選択」説が検証されている http://t.co/SALwRdDe
posted at 09:59:04

スタトレとか、タイムパラドックスもの、時空工学ものにナルのに対して、日本のSFは、なぜか歴史認定てきになる、と前から考えていたのだが、そうかゲーデルだったか。アインシュタインの解法として時間が輪になっているといったのは。http://t.co/lHWDuxrV
posted at 10:01:56

そして、アインシュタインの解法としてゲーデルが示した時間的閉曲線(タイムトラベルのパラドックス解消の一つ)は、スピノザと比較される。http://t.co/aIWLcZt2
posted at 10:03:07

https://t.co/28pi35Ke 量を実在性(デカルト)から属性にするスピノザの神証明は、結果からの証明の遡行ではなく、原因からの証明=観念だが、現代量子論で問題になっているアインシュタインの解法としてのゲーデルの時間的閉曲線の問題と、似た問題系であるらしい。
posted at 10:07:47

私がそもそも問題にしているのは、巽孝之氏の論考ではないが、日本のSFが、家畜人ヤプーのようなタイムパラドックスでも、歴史叙述のヴァリアントになるのに、米国のSFでは、タイムパラドックスの扱いが別の系になる、という問題なので、非常に面白い。
posted at 10:11:04

アインシュタインの時空のゲーデル的解である時間的閉曲線とスピノザの決定論の差異が、まだ理解できていないのだが、このあたり個人的に一番ワクワクする話だ。ちょっとずっと考えてみよっと。(^-^)
posted at 10:14:27

スタートレックシリーズは、女艦長のヴォイジャーシリーズ(90年代後半)になって、タイムパラドックスの可能性をやりつくすような挿話だらけになった。その後に9.11が起こり、それを東氏たちが論じていたのだが、ちょっとその問題を再考してみたい。
posted at 10:20:16

RT @heidegger_bot: フッサール自身、「序言」を書いたときに、自分自身の仕事を誤解し、改良された心理学として把握するというまったく間違った解釈をおこなったのでした。「カッセル講演」
posted at 10:29:53

心理的なものや、量を実在性の量にするようなものは、証明が矛盾を抱えるからどうでもよい気がする。
posted at 10:30:52

量を実在性(リアリティー)ではなく属性にすると、観念を結果ではなく原因とできるというスピノザの方法と、時間閉曲線というゲーデルの決定論の解法、について何か考える方法は無いものだろうか? 日米SFのタイムパラドックス比較で十分な気もするが。(^-^)/
posted at 10:32:28

シェリング対スピノザhttp://t.co/RHnsZ8bJ 「しかし、スピノザが本当に異色であるのは、観念と物質とが関わらないと主張したことの方」。観念とは語彙、平行とは言語と指示対象の峻別のこと。
posted at 13:30:07

http://t.co/RHnsZ8bJ 言語(語彙)と指示対象の平行。つまり意味は語彙(観念)同士の証明によって得られるしかない。これをシェリングはヘーゲルの入れ知恵でどう誤読していったか?という話だ。
posted at 13:32:30

次に、ヘーゲルVSスピノザ http://t.co/Hwb8myoH 実体と証明=命名された自己原因の前に、絶対精神が欲しくなってしまうヘーゲルのスピノザ誤読。しかし、ついぞ弁証法だけでは、自己原因を実体と命名する証明、つまり言語論的な転回は得られない。
posted at 13:41:33

デカルトVSスピノザ http://t.co/YjTgppUe デカルト二元論では、身体が実体であるため、受動的な精神が身体を支配する能動性が情念だが、スピノザでは実体は観念=言語であるため、感情は単に他人と関わる時に生じる問題にすぎない、等々。
posted at 13:50:55

デカルトVSスピノザ 体系の変形http://t.co/CyKAIZIU スピノザは、汎神論だとか神と物質を混同していると非難されたが、それは彼にとっては心外だった。「人々が私の立場は神と自然を同一視する思想に立っていると考えているのは~全然間違いです。」(書簡73)
posted at 13:54:11

・・はっきりいってスピノザは、ただ読解には対立項が必要だ、そうだとわからないのなら、その対立項の両輪を証明して上げよう、といっているに過ぎないように見える。それがスピノザの平行論なのだが、近代はこうした言語性の誤読として精神を生んでしまう。
posted at 13:56:26

ゲーデルVSスピノザhttp://t.co/aIWLcZt2 これは午前中ツイートしたように、量子物理学で問題になるタイムトラベルには自由意志があるか?というパラドックス。ゲーデルはスピノザに対しして、時間閉曲線をアインシュタインの解法として解いた、という話。決定論と矛盾がない。
posted at 13:59:13

物理学のタイムパラドックスhttp://t.co/NQP2Q4I0 はスピノザ的決定論を対局にして時間湾曲説や事後選択説になっているという。アメリカのSFが好む題材。日本では家畜人ヤプーのタイムトラベルしか生じない。それはなぜか?という言説分析。
posted at 14:02:35

では國分氏は何を論証したのか? エチカが記号と対象(延長)の平行性によって、神を実体と命名できたのが、知性改善論の2つの逆説、つまり無限ループに陥る懐疑論を説得しないという観点だ。これを誤読すると情念やヘーゲルになったりするのだろう。情けない。(・_・;)
posted at 14:06:13

RT @gendaibuntan: 「自我」って本当に絶対確実なものなのかしら? デカルトは「我思う故に我あり」という風に、疑っている自分だけは否定出来ないとしたけれど、でも結局自我って他者(他我)との関係性の中で生じているんじゃないの? ほら、アイデンティティとか。フフッ♪ どういうことかしら?
posted at 14:08:24


2012年06月05日(火)
http://twilog.org/sunamajiri/date-120605

RT @FukushimaKokugo: 「(読解で)『それ』とは何かを考えさせるのは重要」と芦田先生。自己表出としての「それ」の〈像〉をつかんでいるかどうかを考えさせるのならば、と。受験問題の「それとは何か」は単に言葉を並べさせるだけで終わっています、と私が言うと、それは指示表出を問うにとどまった問題、と。なるほど。
posted at 03:40:30

RT @FukushimaKokugo: 「接続詞より名詞が重要」「論理論理というやつはすぐ接続詞に走るからいけない」。このあたりは吉本隆明をもっと読まないと、深くは理解できません。
posted at 03:41:15

起きたらTLに国語塾の福嶋先生が、芦田先生と電撃的会食をして、国語は指示表出の評点だ、という吉本隆明論をやってきた、というツイートが目に止まった。https://t.co/ulU7K8Z4
posted at 04:30:00

一ヶ月ぐらい前に摂津君と何かの文脈で自己表出、指示表出という吉本隆明論になった。『言語にとって美とは何』か、はもう四半世紀も前に読んだので覚えていないのだが、芦田先生がうまくまとめて下さっている。http://t.co/N8ZzACZ8
posted at 04:32:35

http://t.co/N8ZzACZ8 芦田氏によると、晩年の吉本隆明が、自己表出・指示表出をわかりやすく解説したという。僕にだけ分かる文学の感動が自己表出、それを他人と共有するのが指示表出。だから国語の問題では、それを指示して問える、という話のようだ。
posted at 04:34:14

http://t.co/N8ZzACZ8 芦田氏によると、指示表出を沈黙にすり替える柄谷行人や蓮実重彦の唯物論は、文学受容の誤謬という指摘だ。この晩年の吉本隆明のNHKの番組を見てないので、見てみたくなった。
posted at 04:37:20

ところで、吉本隆明の自己表出・指示表出という論点は、言語は平行性というスピノザの哲学=言語観をツイートしていた私に、たしか攝津君が一ヶ月ぐらい目に指摘していたのが興味深い。http://t.co/2GCoxqJB
posted at 04:41:05

なぜこのことが興味深いかというと、芦田先生と会食した福嶋先生のツイートhttps://t.co/OvSsaXCJ にあるように、私の読解法は、接続詞を飛ばして読め、必要なのは対立項と、対比の理由だ、というものだからだ。つまりそれが指示表出だと、生徒に教えているわけだ。
posted at 04:43:28

吉本隆明を最後に読んだのが四半世紀近く前なので、吉本のジャーゴンに引き寄せて指摘できないが、この接続詞を省け、名詞同士の関係性から理由を抽出せよ、というのが指示表出=国語の解法のように思えている。
posted at 04:45:04

あまり妥当な極論ではないが、接続詞は自己表出、名詞により作られる対立項と理由が指示表出、そういう読みのほうが、子供たちの国語力が伸びる、ただそれだけの話だ。
posted at 04:47:33

しかしこれは、ヘーゲルが誤読https://t.co/6yqoXdEz したスピノザの言語観https://t.co/RhqG9n6f そのものであり、こうした「指示表出」を取り出せなかったのがデカルトhttps://t.co/X1kcTECq なのだろう。
posted at 04:49:34

ではなぜhttp://t.co/N8ZzACZ8 柄谷行人は、蓮実重彦のように、文学の指示表出を沈黙させたのだろう? ヘーゲルがスピノザに満足せず弁証法で、自己原因に先行する精神を仮定したからなのだろうか? そのあたりを考えよう。https://t.co/6yqoXdEz  
posted at 04:53:36

問題は子供だ。子供たちは物語は読めても、解説文である論説文が読めない。なぜかというと、文中の接続詞に躓き、何の話題か、というところに入っていけない。それで解けない。だから接続詞の飛ばし方を、まず最初に教えることになる。
posted at 05:05:28

さらにいうと、そういう読解力なので、指示表出としての物語文(小説)も、子供たちはじつは読めていない。しかし、学校では接続詞を読ませようとしている。こういう生徒さんが一番多いわけです。
posted at 05:07:17

構造主義や物語論を誇張しても何も出て来ませんね。つまり何も伝えたことにならなさそうです。@aoinatsunosora 物語を構造で思考しても、理解や意味への思考が不足すれば、思考そのものがただの積み木遊びにしかならないと思います。
posted at 05:21:03


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