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悲しく聴こえる音楽たち

2012.03.21

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空中散歩のサントラhttp://t.co/M5HoCAgO 、作者わからないんだけど、ループ再生してたら、またジャズ聴けなくなったw 昨日はジャズ漬けだったのに。外食産業もジャズじゃなくヒーリング系をBGMにした方が、私は食欲出るのに。(^-^)/
posted at 07:08:10

というか、外食系BGM、ジャズをお洒落というなら、わたしならソウルの方がしっくりくるなー。テンヤでセロニアス・モンクとか、焼肉屋でコルトレーンとか、ベタジャズほんとに食欲も音感も調子狂いまくるのよ(^-^)/
posted at 07:09:54

そもそも音楽と食欲って個人的には水と油。音楽をやりたい、聴きたいという音楽欲の時は、いくらお腹空いていても兎に角音楽漬けになりたくてしかたなくなる。半日ぐらい平気で食べない。あと物欲。楽器に集中してる時は楽器だけが宇宙で唯一の物体になるから、物欲というのを前後数日の幅で忘れる。
posted at 07:13:48

テンヤや焼肉屋やラーメン屋をおしゃれにしようというのは、フランチャイズだからなんだろうなとは思うんだけど、なんか居心地悪い(^-^)/ @LitoSnowfield BGMでジャズをお洒落と思って流されているのを聴くと…脱力してしまうのですた…(*uou)=3
posted at 07:16:44

たぶんジャズがおしゃれに聴こえるというのは、メロディーをフェイクして主張してないように聴こえるからなんだとはおもうんだけど、ダンモというのは、シングルノートの自己主張の音楽だから、ピアノトリオですらBGMで流されると、食欲に気が回らなくなる。音楽があると寝付けないのと同じ。w
posted at 07:18:38

あとジャズが大人っぽさに酔うみたいな感覚もついてけない。瑞々しいソロもおやじくさく聴こえる感受性って。たしかにマンネリジャズはオヤジっぽい。どうせやるならオーネット以上にぶっ壊してるロバーノぐらい脱力すると、かわいいw http://t.co/WhWcxmSu
posted at 07:29:03

結局ジャズがおしゃれや大人っぽさに聴こえるのは、自分でジャズったことのない人の音感。この他人にどう聴こえているかというのは人目を気にして初めて自我になるというのに似てるが、音楽は特異で、どう聴こえていようが演ってる当人が没頭できてるかどうかしかない。そこが言葉と音楽の最大の違い。
posted at 07:35:31

悲しく聴こえる音楽も、それを今その瞬間に演奏している当人は、ハッピーと感じてるのかもしれない。そのぐらいの開きがある。音楽と印象は完全に別物。むしろ非対称ですらある。
posted at 07:41:35

言葉による歌詞で失恋を歌えば確かに悲しい音楽と「言える」だろうが、インストルメンタルは悲しい曲調(印象)でも、それを演奏(ジャズの場合は即興)してる当人はハッピーなのかも知れない。だから音楽を印象で語ることはできない。特にジャズは印象で捉えさせない意識がモダンジャズに萌芽した。
posted at 07:49:00

ハマヌーンの話http://www.sunamajiri.com/blog/diary.cgi?no=185が出たが、前任の読解の先生が訳出したhttp://t.co/Tq0yitHH のように、人類の宗教の原始状態は没頭だ。没頭を文化に高めて人間になった。当人がトリップしてるなら傍観者がどう感じるかはお構いなしだ。悟りは当人にしかわからないから悟りなのだ。
posted at 07:58:10

ここまで言えば、悲しく聴こえる曲を悲しく演奏させて悲しみを考えさせるのを演奏の正確さと教える日本の音大教育が、啓蒙主義的でとても問題があるのがわかるだろう。ところがジャズの場合、その考え方では教えたことにならない。だから面白い。印象ではなく音楽そのものを教育できる突破口だから。
posted at 08:28:28

ところで、https://t.co/uqWoRvPJ で紹介した東大受験本の著者が演劇論専攻で、冒頭で東大の演劇論を題材に、今私が音楽で言ったことと同じことを言っている。役者が嬉しいという気持ちを演じることについての東大出題だが、大手予備校の解答例はそれを汲み尽くせない。
posted at 08:34:13

印象と音楽は非対称といったけど、音楽は万国共通言語といわれるように、心が伝わってしまう。問題は感情って何よ?というさっきの東大過去問http://t.co/kIiI9XQW みたいな話になる。
posted at 09:01:50

話を整理すると、ジャズが特殊という話になる。感情や心は作られるものだ。作曲家ならそのように作るだろう。しかしジャズの即興は、ロマン派的メロディーをフェイク=壊すことがきっかけ(モチーフ)になっている。だから一筋縄にはいかないが、露骨に音楽に直面してしまう。そういう話。
posted at 09:05:23

国民文学、国民音楽というように、近代国家は創り上げられる。しかも言葉以上に音楽は心をストレートに現前させてしまう。心は音楽なのではないかと思えるぐらいだ。音大でも作曲科以外では、どうやってその感情が作り出されるのかという教育が徹底されてこなかった。それではジャズにならない。
posted at 09:17:43

サンドバーhttp://t.co/NPVBO2Rn 寄ろうと思ったら定休だった。サンドバーもSOUL系のBGM。ジャズがおしゃれ系とかいうけど、私の知る限りお洒落系はSOUL、野暮ったいおじさん系がジャズ。ボサはおばさん系。スタバはポストBOP(^-^)/
posted at 20:49:07

この前もサンドバーカフェ寄ろうと思ったら、けっこう店内に20~30代の男女がいて盛り上がってる雰囲気で、ちょっと入り込めなかった。おしゃれなSOUL系だからその年齢層がくる。ジャズだとおじさんホイホイになる。ボサだとおばさんホイホイ(^-^)/
posted at 20:50:40

スタバはジャズをベタに扱わない。ポストジャズな感じ。ボサもポストな感じ。かといってベタにSOULに行かない。そういうポスト(モダン?)な選曲だから、女子高生からおじさんまで、違和感なくおしゃれなのかしらー(^-^)/
posted at 20:53:29

でもあまりディープにSOUL系、DJ系だと、2~30代の適齢期の男女が、おしゃれを競い合っちゃって、ちょっと空気に入り込めない。ところがポストSOULって、ポストジャズよりイメージわかない。開き直り系?(^-^)/
posted at 20:55:42

あと、スタバはポストジャズ、ポストボサを、ディープにDJ系しないで、クラシックと並列にあつかったりするから、なおさらポストモダンな感じ。DJ系はポスト30代だと、ちょっと男女の逢引がうざい感じ。ナンパとかされそうじゃない? 一人がいいじゃんって感じなのよねー(^-^)/
posted at 20:59:03

そういえば、マーケ屋さんが、ショッピングモールでジャズをBGMにすると売上が数割あがると言っていたけど、逆にDJ系のお店だとポストリア充世代は、ナンパされたりうざいから、ジャズに逃げるのよねー。でもベタジャズは、ソニー・スティットみたいになると野暮ったいのよねーw
posted at 21:04:32

でもDJ系のお店で、イケメンに見つめられると損得脳で得した気分になるし、美人さんがいるとうれしくなるのよねー。ベタジャズのお店だと、キモオヤジが話しかけてきたりするのが、大損した感じなのよねー(^-^)/
posted at 21:09:10

自由意志2.0で監視する自己言及ども

2012.03.21

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文学関係のツイートまとめ

●監視社会を自由意志2.0という日本のおかしな言説。
●大江健三郎と村上春樹のとりかえばや物語
●自己言及の不可能性を実践する日本近代文学
●詩の自己言及。大いなる文法学者の猿
●90年代最大の文学論争、漱石は「こころ」で性転換した

イケノブ氏も指摘していたが、監獄の発明者ベンサムの功利主義が、「個人の効用=心理から均衡」という現在主流の経済学なんだろうね。(^-^)/RT「ソーシャル」という罠 ―プライバシーが消えてゆく─フーコーの警鐘に従うなら「可視性は罠」なのだ http://t.co/wQeFX6eY
posted at 23:30:16

ベンサムへの言及はハイエク本のここ(^-^)/ http://t.co/i3DxNubQ
posted at 23:43:33

イケノブ氏は自由報道協会や柄谷的現代思想に批判的のようだ。確かにハイエクの両義的な自由論の観点からは、監視社会を自由意志2.0と意図的に誤読する日本の言説は素朴な革命論にしか見えない。ネットもマスコミのように煽ろうとしているが、受け手には実は固定観念はない、つまり国民が賢いのだ。
posted at 00:07:43

国語教育も固定観念の駆除が目標だが、生徒に固定観念があるはずだという前提自体が偏見である場合が多い。生徒は自信なげに世間や規範の正解を質問しに来る。無論、世間や空気と感じるものが自信喪失の原因なのだから、それを考えさせる。国語の9割はこれ。つまり個々人に偏見があるわけではない。
posted at 00:38:24

この相手には思考の曇があるはずだ、という勧善懲悪的設定が、監視社会を一般意志2.0と革命論に素朴に誤読させる固定観念。つまり上から目線ということだが、これはコロンビア出のhttp://t.co/6PhEJkMV が言うような、最近の風潮というわけではない気がする。
posted at 01:01:22

この本 https://t.co/zrTNy05z に(amazonレビューなどでも)賛否が寄せられてる点も、東大記述問では、大手予備校の解答例に紛れ込んだ偏見・固定観念が、国語の正解法ではないという点。その偏見によって、国語力のない子が再生産される。
posted at 01:45:46

RT @americanjokebot: 経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。イギリス人「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」ドイツ人「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」フランス人「その定理をフランス語で言ってください」日本人「あなたの先生は有名ですか?」
posted at 02:02:02

RT @Onl_y: 大江:芸術の問題としてそれ(死ぬまでに問題を解決できないこと)を捉えようとしていた。ベートーベンやR・シュトラウスの晩年の作品の破滅的な調子。そういうことを研究していた。彼は死に、私は残された。私は最後の仕事を書こうとしている。個人的なカタストロフィを通じて書くつもりだった。
posted at 02:23:14

大江健三郎の話題がRTされてきたが、それで思い出したのだが数日前なぜか大江さんが徘徊老人になって、大きな書店のフロアに寝転んで駄々をこねている場面に遭遇する夢をみたwww(^-^)/ 
posted at 02:24:21

3日ぐらい前よ。変な夢見ちゃったわよ。大江さんがボケ老人で書店で寝転んで分けのわからないこといってて、書店員も有名人だから手をこまねいているという場面に遭遇する夢だったwww (^-^)/ @LitoSnowfield ひ…ひどい~~(*^o^)ノシ☆
posted at 02:37:38

文学的エゴ強そうよね。エゴが強いとボケるww(^-^)/ @LitoSnowfield 何故かリアルなイメージが伝わるのですが(笑) 昔に読んだ大江さんの叔父さんがホームレスのお話を思い出しました(*uou)>
posted at 02:51:15

ノーベル賞直前の緑の木三部作は何らかな突き抜け感があったと記憶してるけど、性遍歴という実存からの救済とやっと単純化できたのがカタストロフとかそんな感じ。作家は重層的円環的に前作に言及しながら後続作品を書くものだけど、ポジティブさになるまで苦しみすぎ。@LitoSnowfield
posted at 03:10:43

大江の緑の木三部作http://t.co/jciishOc のどことなく突き抜けた感じと、村上春樹の海辺のカフカが、なぜか同じ読後感。と思ったら、たしか両者とも語り手が性同一性障害なのよね。日本文学はとりかえばや物語するしかないみたい。(^-^)/
posted at 03:14:55

そうそうポンポン前作を忘れるタイプと、同じ所ぐるぐる回る夏目漱石型がいるよねー。たしか四国を舞台に性同一性障害が語り部という、大江のノーベル賞受賞タイミング作と、村上春樹はかなり似てる。@LitoSnowfield 近作は読んでいないのですが…。グルグル同じところを回られて…
posted at 03:21:25

日本の作家が同じ所ぐるぐる回るほうが文学性が高く見えるのも、前作や文学史という空気への自己言及が日本では近代文学という雰囲気だからかな。村上春樹は大江と同じで周りの文学状況に自意識過剰。だからそこから抜けだす物語性を毎回実験する。でも西欧では文学は自己言及は矛盾として斥けられる。
posted at 03:33:22

ゲーデルではないが自己言及は不可能。なのに日本では近代文学は、文学史と前作への自己言及性と、そこからの脱出が唯一の物語性だった。大江も村上春樹もそこから脱出したい。ところで文学も近代以降は西欧にしか可能性がない。西欧とは擬人法の三態、物の人化、神の人化、人の神化。
posted at 03:40:05

ノーベル文学賞で思い出したが、オクタピオパスの「大いなる文法学者の猿」という本が、どっかいってしまっったんだが、アマゾンで売ってない(・_・;) http://t.co/k0CII276 http://t.co/iqblRz1e
posted at 03:52:59

オクタビオ・パスの『大いなる文法学者の猿』の一節がここにあった。→ハヌマーンは、古代インドの物語『ラーマーヤナ』に登場する猿の神である。ハヌマーンは文法学者でもあった。『ラーマーヤナ』の作者とされるバールミーキの友人、助言者、霊感を与える者http://t.co/4gO1dbto
posted at 05:17:20

オクタビオ・パスの『大いなる文法学者の猿』 「あらゆる詩は同じことを言い、しかもその各々が独自だ」「道を歩いていくにつれて道が消えていく」
posted at 05:20:52

大いなる文法学者の猿、引越しの時以来未開封の書籍の箱がまだ何個も残ってるのだが、その中にあるきがする。でも2つ開けてみてなかった。だいぶ本を処分したのでその時処分したかも。代わりに探していた漱石論の本を見つけた(^-^)/
posted at 06:11:23

さっき自己言及の矛盾性を突破する物語性のためには、大江と村上春樹は共通して性転換の話者を必要としたという話をしたが、箱から見つけたのは漱石はこころで、日本近代文学の倫理を反転させる性転換に開かれた、とする90年代の国文学界の最大の論争http://t.co/Xp16424g
posted at 06:27:07