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フロイトは心理学じゃないというインコたんに質問してみたよー(^-^)/

2012.02.28

インコたんは、フロイトは解剖学で心理学じゃない、といってこれまで数人の学者にブロックされるのを目撃したんだが、それが何なのかちょっと質問してみた(^-^)/

ツイートまとめ:

これ面白かった。経済学を科学と幻想すると保守バイアスになる。社会主義が政治的幻想したのと双生児。人文的証明だけが科学的な社会学で、マクロだDSGEだとやると、結局魔術になっちゃう(^-^)/ マクロ経済学手法の政治的中立性 http://t.co/mRVZRwhz

人文で数学モデル化(形式言語化)というと、ラカンによるフロイトの数学化。それと比べるとDSGE(動学的確率的一般均衡モデル)だろうが何だろうが、経済学の提出する数学モデルはすべて非現実的で、単なる魔術への回帰に見える。つまり社会は数学的に論証できない(^-^)/

その複雑性が経済そのものだったりするし@mimi_smpc000 アジア諸国は宗教理念が直接国政に絡んでるの国が少ないからその辺が安心するのかも。 インドみたいに、絡んでたとしても一神教じゃない国(日本含め)はマイルドだし~、色んな意味で経済も外交も複雑化

新インコの人‏ @bezokuGon
経済は法の尻尾だ。わかんねえだろうな(^-^)/RT @sunamajiri: その複雑性が経済そのものだったりするし@mimi_smpc000...

インコの人 @bezoku
俺の発言と同じや!RT @sunamajiri: これ面白かった。経済学を科学と幻想すると保守バイアスになる。社会主義が政治的幻想したのと双生児。人文的証明だけが科学的な社会学で、マクロだDSGEだとやると、結局魔術になっちゃう(^-^)/ マクロ経済学手法の政治的中立性...

すごいよ数学モデル化するためには、ミクロ経済学を「たった一人の人間しかいないような経済を想定する」以外にない。つまり魔術。こんな下らない学科を専攻するのが多い国だから馬鹿になるww @bezoku 俺の発言と同じや!RT 経済学を科学と幻想すると保守バイアスになる。

人文で数学モデル化(形式言語化)というと、ラカンによるフロイトの数学化。それと比べるとDSGE(動学的確率的一般均衡モデル)だろうが何だろうが、経済学の提出する数学モデルはすべて非現実的で、単なる魔術への回帰に見える。つまり社会は数学的に論証できない(^-^)/

それは数学としては底辺だなww リーマン予想と流体力学の関連性とかやって。人間を数学化するなら、フロイトの数学化であるラカンのほうがまし。東がやってたよ。 @bezoku この人を見よ!くだらない経済学も一応数学的には勉強してんのや http://t.co/IkuILctb

新インコの人 @bezokuGon
ハゲの東にはできない。東は単なるポンチ絵描いただけです。RT @sunamajiri: それは数学としては底辺だなww リーマン予想と流体力学の関連性とかやって。人間を数学化するなら、フロイトの数学化であるラカンのほうがまし。東がやってたよ。

今のところ頓挫したままねー。形式言語論で頓挫した後、オタク論に走り、こんどは人気取りに関心奪われてしまった。一般意志を平均点と誤読したとか誰か言ってたが、国外で修行するしかない(^-^)/ @bezokuGon ハゲの東にはできない。東は単なるポンチ絵描いただけです。

僻地の日本だと感じないけど、折り合わないんだろうねー、西欧一度ご破算にしないとだめなのかしらねー(^-^)/@mimi_smpc000 経済はいいとして外交が難しくなりそうな。宗教的にマイルドなトルコでもいちおうモスリム国なので例えば他の中東国への経済制裁とかやりにくくなったり。

ていうか日本は数学できないと文転するじゃない? んで文系のまま経済学いくと、不用意に数学的で、わけわからないまま、魔術にかかるんじゃないかと。洗脳ね(^-^)/ @bezokuGon 東工大の文系は三流だ。理系で東大より上なのは、数学の乱数だけだ。

新インコの人‏ @bezokuGon
フロイトの数学化なんて好い加減にできる。フロイトは解剖学的心理学を晩年まで目指してた!RT @sunamajiri: それは数学としては底辺だなww リーマン予想と流体力学の関連性とかやって。人間を数学化するなら、フロイトの数学化であるラカンのほうがまし。東がやってたよ。...

神経解剖は生化学まで結局マシンの擬人化、独我論になっちゃうんだよ。フロイトの真骨頂は関係性。経済学の数学モデルも独我的で魔術的という話だったが、フロイトは突き抜けてるんだよ。ラカンはそれを数学化しようとした。それが形式言語論=数学の最終型になって久しいんだよ。@bezokuGon

新インコの人 @bezokuGon
心理学の数学モデル考案したら物理的な脳や神経と結び付けて実証しないと独善で終わるし進歩無い!RT @sunamajiri:...

心理学の数学モデルって、個体の人間の話だと無意味なんだよ。日本の心理学者でそういう手合いわんさかいたけど。もちろん実際の病理学では生化学とかに結び付けないと治療法にならなさおうだけどね。インコは問題点わかってないよ。@bezokuGon

新インコの人 @bezokuGon
それは数学モデルがええ加減なんだよ。RT @sunamajiri:...

ちがうんだよ。個体としての人間を対象にしたら、生化学はできても、それ以外の論証は死ぬって話だよ。進化論ですら個体では説明できないんだよ。個体の機械論に傾斜する日本の科学は短所だったじゃない?(^-^)/ @bezokuGon それは数学モデルがええ加減なんだよ。

個体には生化学的な意味しかない、つまり個体は無意味なんだよ。さらに機械論をするのが数学でもない。それどころか数学というのは本来不合理を扱う学問なんだよ。まさか形式言語化が合理的と思ってないよね? @bezokuGon それは数学モデルがええ加減なんだよ。

新インコの人 ‏ @bezokuGon
個別も全体の無いよ、物理的な脳には。

だから脳の機械論っていうのは生化学以外の意味はないんだよ。そこに神秘があるとおもってるの?(^-^)/ @bezokuGon 個別も全体の無いよ、物理的な脳には。

それから個別と全体ではなく、個体と関係性ね。フロイトが好きな割になんでそれがわからないんだよw 脳を研究しても生化学しか出てこないよ。さらにニューロン一個を再現できても脳にはならないよ。機械論は数学ですらないんだよ。@bezokuGon 個別も全体の無いよ、物理的な脳には

唯物論者だってそんな機械論には陥らないんだよ。@bezokuGon 物理的な脳には。

インコの人 ‏ @bezoku
数学モデルなんて、いっぱいあるよ。図書部屋にらまだある(^-^)/ ow.ly/i/tPyp ow.ly/i/tPyy ow.ly/i/tPyX

なんか最近書棚を見せるなーww(^-^)/ もちろん数学各論は色々あるけど、まさか数学が合理とはおもってないよね?

インコの人 @bezoku
俺はピタゴラスか?(^-^)/

元々人文も理系もないけど、いまでは人文といえば機械を擬人化うするマッドサイエンティストを欠席裁判するような神学的ニュアンスよ。だから出席して欲しいのだけれど、私も好きなSFに出てくるような機械的人格は、単に技術発展の問題と割り切ってる?(^-^)/@bezoku 俺はピタゴラスか

新インコの人(‏ @bezokuGon
機械論で攻めないと進展無いよ。RT @sunamajiri: 唯物論者だってそんな機械論には陥らないんだよ。@bezokuGon 物理的な脳には。

もちろん機械論も同時にしなきゃ実際的な進展はないのだけれど、機械論は所詮機械論よ。@bezokuGon 機械論で攻めないと進展無いよ。RT @sunamajiri: 唯物論者だってそんな機械論には陥らないんだよ。@bezokuGon 物理的な脳には。

新インコの人@bezokuGon
スペンサーの脳地図とか意味あるよ!RT @sunamajiri: だから脳の機械論っていうのは生化学以外の意味はないんだよ。そこに神秘があるとおもってるの?(^-^)/ @bezokuGon 個別も全体の無いよ、物理的な脳には。

それどんなん? もちろん、うつ病の部分がどこか?とか、インコが人間と同じ言語中枢があるとか、機械論的研究は無効ではないけれど、それだけで説明できないのが人間と捉えるのが近代科学なんだよ。インコは中世のままね(^-^)/ @bezokuGon スペンサーの脳地図とか意味あるよ!

新インコの人 ‏ @bezokuGon
ググって(^-^)/

オーケー、脳地図でしょ? つまり解剖学でしょ? インコ医者になればよかったのに。ところで医者や脳科学者が、意識とか認識とか思考を機械論的に説明できるいとインコは思ってる? それだけきかせて(^-^)/ @bezokuGo

インコたんって、フロイトは解剖学だ心理学ではないという命題で、今まで何人かにブロックされてるの目撃してるんだけど、その主張が未だに何を指してるのか読解できない。@bezoku

新インコの人‏ @bezokuGon
意識の認識の定義から始めてないといけないが、意識は今までの過去の認識の蓄積の現時点での対応的な対応的な行動の意思的表明かな。RT @sunamajiri:...

それって素朴な独我論にみえるけど。自分以外は(自分も含むでもいいけど)、周りは自分に反応するセンサー(機械)だ、っていうんでしょ? @bezokuGon 意識の認識の定義から始めてないといけないが、意識は今までの過去の認識の蓄積の現時点での対応的な対応的な行動の意思的表明かな。

フロイトというのは、それを関係性で説明した大家じゃないの? なんでいわば「関係論」を否定するの?(^-^)/ @bezokuGon 意識は今までの過去の認識の蓄積の現時点での対応的な対応的な行動の意思的表明かな

新インコの人‏ @bezokuGon
あとで写真みせるよ。フロイトの真骨頂の(^-^)/RT @sunamajiri: インコたんって、フロイトは解剖学だ心理学ではないという命題で、今まで何人かにブロックされてるの目撃してるんだけど、その主張が未だに何を指してるのか読解できない。@bezoku

うん、みせてみせて。フロイトは心理学者ではなく解剖学者だというと、なんだフロイトは心理学を解剖学のレトリックで記述したってことか?ぐらいにしか思われてないものだから、みんなに見せてあげて(^-^)/ @bezokuGon あとで写真みせるよ。フロイトの真骨頂の(^-^)/

新インコの人‏ @bezokuGon
フロイトは独我論だよ。その感動できなくてエピソードある。だからフロイトが好きだよ(^-^)/RT @sunamajiri: フロイトというのは、それを関係性で説明した大家じゃないの? なんでいわば「関係論」を否定するの?(^-^)/ @bezokuGon...

関係性まで独我論的に機械論にしちゃったとも読めるから、たしかに面白い論点だけど、たぶんそれかなり研究されつくしてるよ(^-^)/ @bezokuGon フロイトは独我論だよ。その感動できなくてエピソードある。だからフロイトが好きだよ(^-^)/

さて機械論的SFでもみて、マッターリするよー。SF大好き(^-^)/ 今日は2001宇宙の旅の続編の2011年を久々にみようかな。もう未来じゃなく去年のことなんだが、ACクラークの予言通りにはならなかったな2011年は(^-^)/

インコの人 @bezoku
俺の仕事のSkype のID のミドルネームは、Sigmund なんだよ(^-^)/恥ずかしい。で、これから、お風呂に入ります!(^-^)/

ところで、攝津君が、FBでドゥルーズ、ラカンと、日本のジャズ評論を、比較する話から、プラトンまで遡行して、さらにまた現代に戻ってきてる所で、ちょいちょいコメントしてたんだけど、FBってTLが非常にわかりづらくて、土日みてなかったら、もう話ついていけない(^-^)/

ということで、http://econdays.net/?p=6157 マクロ経済学は独我論的魔術で、同じ数学化するならラカンのほうが関係性があって合理的ね、という連続ツイートみたいのは(というかインコたんとの雑談)、おわりー(^-^)/

うむ、インコたんのフロイトは理系だ、というのは正論なんだけどねー。でも何で日本の理系は独我論とか機械論の範疇から抜け出せないのかが、いまいちわからない。だいたい文系と理系というのが日本では際立つよねー。それに逆らうと学際的といって過小評価されちゃう(^-^)/

2/29

フロイトが医者なのは知ってるよ。https://t.co/EP2SWdOv そうではなく、乱暴に言うとフロイトは「現代人文系の父」とも言われる存在なんだよ。インコたんは常にそれをバカにするんだが、その論拠を質問したんだよ。@bezokuGon @LitoSnowfield
posted at 03:52:47

解剖学からスタートしたというだけで、フロイトが父と言われる現代人文系を「非科学的」と嘲笑うのはおかしいよ。それではフロイトの業績そのものを否定しているんでは? フロイトが「心的関係」をも解剖学的に捉えたという場合、それは比喩でしょ? もう少し文系も読むべき。@bezokuGon
posted at 04:15:49

人文なんて非科学的だから読む価値がないと嘲笑するみたいなんだけど、そのフロイトで人文は科学的になったと言っても過言ではない。そのフロイトの業績自体を真っ向から否定するから矛盾して聴こえるのよ。どうしてそんなに日本的理系頭なんだ?(^-^)/ @bezokuGon
posted at 04:39:02

別に私はフロイディアンでもラカニアンでも何でもないんだが、インコたんの人文社会系が、解剖学に比べて非科学的だという意見は、苦笑せざるを得ない感じ。(^-^)/ @bezokuGon @LitoSnowfield
posted at 04:44:02

神経解剖だけが人間科学だとか、日本のコチコチの理系頭って、なんでそんなに素朴なんだろう。よほど思弁的に見えるとはよくいわれるんだが、それが日本の弱体化の最大の要因に見えるとは、いつも繰り返しているとおり。(^-^)/
posted at 04:52:11

国語教育は外国語教育だった(^-^)/

2012.02.20

土日から月曜まで国語教育と言語力の議論をツイッターでしていました。中間まとめです。どうやら受け身の教育は日本人には徹底した啓蒙=読解が必要なためですが、読解させるのは日本語に見えてもじつは外国語だ、ということになりそうです。

以下ツイッターより
https://twitter.com/#!/sunamajiri

英語圏のネットではナンセンスよね人格攻撃(^-^)/@yutakioka QT: 人格攻撃というのが日本ではわりと許容されるのは、それで訴えられることがほとんどないことが関係していると思う。多分米国だったらリアルに訴訟になるような罵倒や罵詈雑言が日本語のTLには大量にあふれてる

大学入試では評論ばかりですが、近代化に平伏させる啓蒙。しかし最近では小論入試増えてきてますよ。RT @yutakioka そう思いますね。小説はどちらかというと趣味で読めばいい分野ですし、より重要=社会に出て実践的なのは論理的思考力。そのためには論説を読ませそう。

人格攻撃したら負け。日本では議論が空中分解するのもほとんどその甘えのリテラシーですね。(^-^)/RT @yutakioka それやった時点でそれまでいくら正しいことを言っていても終わりですね。米国ならそれのみならず訴えられる可能性すらあります。それが公開討論の場であれば。る訓練をさせた方がいい

しかし逆説すれば、筆者の意図を読解できないから、反論に至るどころでないのも事実なんですよ。RT @yutakioka たしかに、それは酷いですよねw意図とか反証可能性が無いわけですしwRT @moraimon 論説文読ませても、「筆者の意図は何か」みたいな問題解かせ続けるのでは

筆者の意図ですらなく、出題者の一義的な意図ですがwRT @yutakioka そもそも文章の「意図」なんて定義できるわけがない。なんでそんな意味不明の出題をするのか。「意図」とか関係なく、「ここに記述されている文章の前提から最も妥当だと思われる解釈を選択せよ」でいいと思うんだけ

日本独特の国語の客観テストという出題形式は言語力ではなく近代の近代の啓蒙のままだからですよ。RT @yutakioka 意図を読むことが可能なのはリアルタイムのやり取りでかつ相手に対して質問ができる場合のみ。だからそもそも書かれたテクストの「意図」は書かれたその時にすでに「死

いや、実際に筆者が自分の文章で出題された問題正解できないとは、よく笑い話になるほどですから。しかも文を入試に使われて五千円の謝礼だそうでw(^-^)/ RT @yutakioka 出題者の意図を読めだったら、まだ問題として成立しそうな気がしますが(笑)

はっきりいって日本の国語教育は学校では言語能力教育を疎かにして中途半端に文学を読ませて、指導要領の意図を読ませるテストを客観テストとする。次に入試の評論で近代の啓蒙を客観テストしようとする。つまり反論させない大人をつくるから人格攻撃しかできなくなるんですよ。@yutakioka

そうそう、文学テクストから一義的な読みが可能になるはずがない。しかし国文の小森陽一氏が指摘しているように、すべて指導要領ないし教科書会社の教員マニュアル本に、これを正解としてテストせよ、と書いてある。つまり日本で国語とは制度なんです。@sazameyuki @yutakioka

そうですよ。欧米にそんな国語教育は存在しないんです。副業で予備校で現代文教えてますが、だからこそ受験指導では、国語とはそういうものなのだから、そう答えろと教えるんです。予備校は国語教育ではなく受験指導ですからね。もちろんそれで言語能力が養われるわけではない。@yutakioka

瀧岡 優  @yutakioka
これはフランスやアメリカの国語教育とは真逆。フランスやアメリカでは国家の政策を批判できることを目標に国語政策がなされている。だから問題でも「意図」を問うという問題はほとんど出ない。論理的な整合性や妥当性を問う問題が多い。SATとセンター試験を比べればこの違いはよくわかる。

ただ一方、そのように頭ごなしに近代を啓蒙しないと、自然体で子供は口ごもっているだけなんです。近代社会とはこういうものだ、と読ませる(頭を整理させる)ことで、少しだけ大人になって、対等に口がきけるようになるのが日本人だ、というのは否めないと思います。@yutakioka

近代を啓蒙的に教え込む国語は、じつはそうした民主主義を理解ができないというところにも起因してそうです。受験国語では、個人対共同体という命題が頻出しますが、それを知らないと勢い、世間体といっても身分的だったり、前近代の足かせに埋没しちゃうんです。空気もそう。@yutakioka

だから文科省的な、日本人には近代を啓蒙する以外に、リテラシーを引き出せないとする官僚的な考え方は、未だに有効なんだとおもいます。野放図にしておくと、日本人はそれこそ人格攻撃と空気読みしかしなくなります。教科書も入試も空気読むなという批判が正解です。@yutakioka

もっというと、フォロワーの福嶋さんという国語の教育者がおっしゃってるように、日本の国語は、他者になることなんです。体験するものとしての自己を一旦消して、他者の書いたものに乗り移るのが国語的正解ということになる。つまり、欧米の国語とは真逆なんです。(^-^)/@yutakioka

あ~。とてもおもしろいお話なんだけど、一旦寝落ちしないと夕方の授業ができなくなる恐れが。ここらでお暇(^-^)/

日本の国語教育https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/170681653335818240 は言語力https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/170683851977392128 になっていないという話、福嶋先生がうまくまとめてます→https://twitter.com/#!/FukushimaKokugo/status/166861243125215232

欧米の国語教育が、自己表現技術だという時、それはこの「自分を離れる力」を前提としている。それがあってこそ議論になる。日本人が下手なのは圧倒的にそのあたり。自分を離れられないわけです。

だから国語は自分から離れさせるために、他人の文を読解させるという方法論になっている。他人が書いた、近代を啓蒙する文を読解できるようになってはじめて、自由とは何か? 表現とは何か?ということに確信が持て、口ごもっていた子供たちがやっと自分の言葉でしゃべれるようになる。

日本の国語教育が、近代の啓蒙に陥ってるようにみえるのも、じつはその方法でしか、日本人が口ごもる失語症から脱却する方法がないからです。だから国語教育はじつはちゃんと言語力教育たりえているんです。ただそういう綱渡りなので、途中で脱落すると両方躓く人間を生む。それが最大の難点。

https://twitter.com/#!/yutakioka
瀧岡 優 @yutakioka
そして、さらに困るのは、(1)自分が自分を離れらえないという事実、からトンデモナイ演繹をして→(2)他者も自分を離れられないだろうと思い込むこと=「心の理論の欠如」、そしてその結果→(3)他者の言説の根拠が他者の属性故と思い込む→(4)人格攻撃。

高校の読解では対比と理由、同一反復、因果関係、具体抽象ということを演習させるんだけれど、帰納⇔演繹をもっと演習させたほうがいいのかもね。昨日ちょうど、特殊⇔普遍が正解なのに、具体⇔抽象との違いが分からない子が読解塾に来てたなー。@yutakioka

そうそう、そのあたりはたしかに今の国語では不備だらけですね。意欲的な先生は色々と取り組んでるんでしょうが、なかなか功奏してないのが現状。と同時に人格攻撃に弱い側と、人格攻撃を屁とも思わない東大、という二極化を生んでると昨日誰かがツイートしていた。w @yutakioka

https://twitter.com/#!/kannoshigeru
菅野茂 @kannoshigeru
@sunamajiri 国語を学ぶには外国語を学ぶに限る。

菅野茂 @kannoshigeru
外国語を学ぶと凄く日本語の曖昧さに気がつきますので日本語で伝達するときに自分の意思をはっきり言ってやろうという気になります。知っている漢字の量は余り関係ないことにも気がつきますね。@sunamajiri


言語は符牒になろうとしますからね。@yutakioka 氏の言う外国語教育の目的https://twitter.com/#!/yutakioka/status/171320028287877120 も、言文一致以来、常に欧米語によって賦活されてきた「近代日本語」には、外国語が必要ということがありそうですね。@kannoshigeru 特に日本語は不便ですよね。勝手に複雑になりどんどんわからなくなる。

そうです。確かに受け身の授業https://twitter.com/#!/yamauchitaiji/status/171365788333260800 は不徹底な啓蒙だが、徹底した啓蒙https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/171362047395758081 によってしか近代化=自由になれない。

それだけでも進歩なのよ、前近代には封建制しかなかったんだから。@bezokuGon @歌謡曲のかしと同じでイメージだけです。RT @kannoshigeru: でもその外国との交流のおかげで「自由」とか「人権」とか「民主主義」とかの用語が増えて我々は自由に @yutakioka

うまい(^-^)/ @bezokuGon 言葉尻を挟みますが、日本は中世を回避、飛ばしたんですね。(^-^)/突然パンツを履いた猿でしょうか@kannoshigeru これらの言葉が無かった江戸時代は暗黒の世界でしたでしょう。中世そのものですね。@yutakioka

高校生に一発目に日本は植民地支配を受けなかった誇れというと大抵ウルウルしちゃうんですよ。発展史観とか右肩上がりを啓蒙するつもりは毛頭ないですが、中世が無我の境地=封建制だったのは明らかなんです。(^-^)/ @kannoshigeru @bezokuGon @yutakioka

たぶん、国語教育の「自分を消す」https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/171359293810028544 という時の「他者」も、外国語のことです。日本語に外国語を傾聴させるのが国語教育と極論してもいい。それで日本語力が賦活されるんです。

音楽を論じるのはいかに不可能か

2012.02.12

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FBにコメいただいても、レスしあってる同士にしかみえてないので、ツイッターでお話ししましょう(^-^)/ http://www.facebook.com/femmelets/posts/347859605236325?notif_t=feed_comment_reply

音楽は評論できない(ギリシャ以後哲学は音楽を論じることを避けた)という話に、音楽家は評論を利用してスタイルになる、というレスを頂きましたが、元々の論点は、音楽を批評できるという一時期のムードは実存主義、単純化すれば商業主義への抵抗で、音楽はやはり評論できないという流れでした。

スタイルというのは、トラッドとビバップとポストバップの違いとかですよね。でもそれはスタイルの違いじゃなく、リズムや乗り方の違いだったりしますよ。@LitoSnowfield sunamajiriさんは即興演奏のときにスタイル…のようなものを意識されないのですか(・o・)?

マイルスのBOTじゃないですがw 違うことをやろうという意識があっても、マイルスはマイルス、自分のできる範囲なんですよ演奏って。たとえば私はラテンとかプエルトリコとかアレルギーで聴いてられないのだけれど、できないかと言われれば、同じように吹くだけ。@LitoSnowfield

演奏に思想書が影響与えたという、それこそ「唯物論的」な証拠、系譜学的な実証はたぶんできないとおもいます。そうじゃないんですよジャズのアドリブって。自分の指グセの範囲でリズム感があれば、トラッドのコールアンドレスポンスから抜け出せるというだけ。@LitoSnowfield

50年代のマイルスも、60年代のマイルスも、エレクトリック・マイルスも、どこにスタイルの違いがあるのか私にはわからないです。アレンジはちがいますよ、でもマイルスっていつも同じ吹き方してる(むしろへたってってるw) それはスタイルじゃなく実存なんです@LitoSnowfield

それがLiteさんの実存です。ところがそれを論じることに意味があるのかないのかという話なんです。パーカーだってコルトレーンだってショパンだってバッハだって指グセが実存です。とくにシングルトーンでは際立つというだけです。@LitoSnowfield 演奏してみるととても実感ですね

攝津さんが、舞踊論と音楽論を比較していましたが、舞踊論は身体論なんです。だとすると音楽論は指ぐせ論にしかならないんです。バッハの中指がどうだったとか、そんな話にしか行き着かないはずです。ww  @LitoSnowfield

もちろん、コルトレーンチェンジではパーカーフレーズをどうフラグメント化するかとか、そういう話には意味があるんですが、そこにスタイルだとか実存主義を読み込むのは、ドゥルーズがいう弱い思想家だけが音楽を語るという点なんです。音楽論は原理的に不可能なんです@LitoSnowfield

音楽がギリシャ哲学以後、言語外的な存在で、哲学者ほど音楽について語らないんです。ギリシャでは哲学と科学は渾然一体でしたが、いまや哲学は言語内的な問題で音楽はその外なんです。(^-^)/ @LitoSnowfield 何となく“音楽を語る”ことの“気恥ずかしさ”に近づいたようですね

攝津さんは「ドゥルーズは、フーコーは音楽に逃避するような弱い人間ではなかった、という意味のことをいっているが、人間と音楽の関係ってそういうものなんだろうか。」という命題から論考してますね。彼は日本独特のジャズ評論についての論考を書くべきだ。@LitoSnowfield

ですね、じつに面白い論考でした(彼は謙遜して自覚してないけど、謙虚だなーw)。でも私から見れば明白なんですよ、音楽は言語ではない、だから音楽だというだけなんです。だからあらゆる言語は音楽の前に大敗を期するんです。哲学者は逃げますよ音楽から(^-^)@LitoSnowfield

ギリシャ人にとって音楽は科学だったんでしょうが、今でも音楽は身体論ですら歯がたたないほど、精巧な対象なんですよ、言語にとっての。だから言語では置き換えられないのが音楽なんだと思います。それを何とかイズムとか何とかスタイルというのは便宜的な認識論です。@LitoSnowfield

絵画なら認識論とかいろいろやりかたもあるのでしょうが、音楽って認識論しても意味ないのよねー。舞踊ほど単純な身体性ではないし。とても音楽は語れない。@LitoSnowfield 西洋の芸術論の歴史な本を読んだことがありまして。絵画や文学は仲間で音楽は少し外れたような感じに書いてあっ

ギリシャ以降、哲学者ほど音楽は論じない。https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/168065344395685888 という昨夜の話で思い出したけど、たしかに音楽は身体論も認識論も現象学も無意味として、じつは作品論という形で言語化=唯物化されるんですよね。そのために言語でないから音楽という音楽が作品になった。

つまり、音楽を作品として捉えるようになったのは、そもそも音楽がギリシャ以降の哲学で論じられない裏返しである、ということを念頭に置かないと、音楽を見誤るのかなと思いました。ジャズは、そうした作品としての音楽自体をフェイクしようとする。もしジャズを作品と感じるなら、根本的に耳が病気。

通俗的だけど、よくアマチュアがジャズの曲を演奏するのをジャズだと思ったり、ジャズ以外の曲をジャズ風味にアレンジするのがジャズだ、と思ったりするんですが、そういう作品を基点とした演奏のどこがジャズなのか。もちろんそれとは別によい演奏ならそれはそれで気持ちいいしジャズなのだけど。

音楽は哲学できないから作品化するしかなかった、というのが実は近代ですね。科学としての音楽を廃したのが西欧哲学ですが、それによって音楽という世界で作品化が起こったのと、音楽だけを理性からのけものにすることで編み出されたのが近代社会ですね。そういう遠近感でしか音楽みれないなーw

それで、作品ではなく演奏者の実存なんだと論じようとしたのが、日本独特のジャズ評論だったののでしょう。しかし、結局、演奏者の実存主義というのは、べつに商業主義に敵対していたわけではなかった。結局、演奏者を政治学的に論じることも無意味だったわけです。やはり音楽は原理的に論じれない。

だから、音楽は作品として論じる以外にない。問題はジャズは作品ではなく演奏だという点。ただし同時にクラシックと違って作品を演奏するのが演奏ではないジャズでは、アドリブの採譜を作品論的に系譜付けることで、最近の欧米の音大ではジャズ論が盛んというだけ。あんまり面白い学問じゃないですよ。

採譜を作品論的対象にして、系譜学をするというのが音大で流行りとして、結局はそれは教育法の開発なんです。つまりほんとは何も論じていない。音楽なんて思想的にも政治的にも論じて何も得るものはない。へたをするとウイントンみたいに伝統主義に陥るだけ。柄谷用語で言う転倒です。(^-^)/

近代の哲学体系が音楽を斥けたことで、音楽がロマン主義的作品になったのと同時に、社会が近代化して行ったと見えるけど、音楽が商業主義と結びついた時、それへのプロテストで実存実存と言い始めた。でも勿論それは私より前の世代で、音楽家の実存って政治的抵抗ではなく、ただ利己的享楽ってだけよ。

フルーティストの陥るバロック性

2012.02.02

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フルーティストの陥るバロック性から自由になるためには?

ニーチェの著者性と同じように、西欧音楽の作曲家VS演奏者というアカデミズムから、音楽の主導権を奪うのがジャズなのだが、#フルート の生徒さんにはこれが大変難しい。

#フルート はカヨワイ楽器だ。そのため、バロック的に書かれた音符を、正確にアティキレーションするのが、フルートの練習の殆どといっても過言ではない。そのため、他の楽器以上に、フルートの生徒さんは音符から逸脱することに抵抗感がある。

本来、#ジャズ は書かれた音楽をフェイクして、書き手から主導権を奪おうとするが、#フルート ではそれはか弱さ、自信のなさとして感じられてしまう。そのためフルート奏者は、ジャズでもラインをバロック的に想定して正確にアティキレートしようとしてしまう。

どんな楽器でも練習とは音のイメージを掴むことで、管楽器ではとくに音のイメージがはっきりしないと、音を出すこともできないはずなのだが、#フルート ではこのバロック的なアティキレーションというイメージが強く、そこからの逸脱には精神的にもかなりの抵抗感があると思う。

つまり#フルート奏者 には、トラッドも、パーカーフレーズも、マイルスも、コルトレーンのシーツオブサウンドも、なにもかもすべてバロックに聴こえてしまっている。この音のイメージを変換しないと、まず#ジャズフルート にならない、ということを知っておいて欲しいと思う。

殆どのクラシックのメソッドは独奏の練習まで。他の楽器でもそうだが、とくにフルートは独奏しかできない人を育てやすい。そういう古典的な教育法だというのを自覚してほしい。ジャズはポリフォニックなやり取りの音楽。独奏ができるだけでは、フルーティストの陥るバロック性からは自由になれない。

簡単に言うと、一人で練習するな、バンドとヤレって、だけの話なんですけどねー(^-^)/ @LitoSnowfield サックスの場合もですが、クラッシックとジャズでは奏法が…目指している音が違うからですが…全然違うようですが、フルートでももそうなのでしょうか

そうそう、まあもうちょっと穏便だけどwww でもそうすると、たとえは悪いけど、バロックの裏がきこえてくるのよねー、MJQのジョン・ルイスのピアノ、バロックに聴こえる?(^-^)/ @LitoSnowfield あ〜…殴り合いのすすめでsune…失礼しました(*^o^)>

バロックって装飾音以外はすべての音符をしっかり演奏するっていう、古典的な音楽と定義できるかもね。バロックを対立項とするとジャズなんてすべて装飾音だw @LitoSnowfield バロックとは何か?…と問われると困りますが(笑) > その裏とは…どのようなものなのでしょうか?

もっと極端に言うと、このメルドーhttp://www.youtube.com/watch?v=M-T3oUGDas0 バロックかどうかなんてどうでもいい。逆説するとバロックって本来はこういうドライブ感の音楽だったはず。でもフルート奏者にはそう聴こえてない人が多い。(^-^)/ @LitoSnowfield

そうなのよ。ところがフルート奏者にはバロックというのは正確に音符を再現するためにあるように聴こえるというか。たぶん他の楽器にはないフルート奏者独特の聴覚。私にすらそういうふうに聞こえるからね。@LitoSnowfield 。バロックの時代やそれ以前は即興性がとても強い印象です。

たぶんね、バロック性、装飾音、フェイクの関係性で私が言ったことがピンと来る人はみんなフルート奏者なのだ。フルート吹いたことない方には何の話してるか多分わからないはず。フルート奏者以外には違うこととして聞こえてると思う。(^-^)/ @LitoSnowfield

たぶんLito Snowfieldさんのように、サックス吹いていて、フルート音出したいという流れの方だと、じつはそのあたりあんまり意識しないで境目こえられちゃうから、フルートから始めた人より、みょうな独奏のドツボに陥らないという・・・(^-^)/ @LitoSnowfield

失えない石原、失ったポップ(^-^)/

2012.02.01

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なんかツイッターで、村上春樹・三島由紀夫・石原慎太郎の比較文学状態に。(^-^)/
https://twitter.com/#!/sunamajiri/status/164384222512025600

作中で文学の固有名に触れることをbookishと言ったりするが、春樹は文学とポップカルチャーを並列に実名化するからなおさらよね。あと固有名と普通名のメタフィクション(あそび)をやってるよー(^-^)/ @sazameyuki 村上春樹の小説の中に引用される洋画・洋楽・外国文学ってとても気になる。小説の中でその固有名詞が生きているよう。例えば、主人公とともに地底から地上へ脱出し、主人公のマンションに戻った太った娘がベッドに横たわって読むバルザックの『農民』。こちらまで読みたくなってくる筆致だ。

村上春樹は、夏目漱石以來の小説の文体を終わらせたぐらいのインパクトありますよねー。文学史に意識的な作家で、原風景の直子の自殺ですら、直前に自殺した三島由紀夫へのオマージュにみえます。ポップになればなるほどそれができてしまうという・・・。(^-^)/ @sazameyuki なるほど~ありがとうございます。勉強になりますヽ(^-^ ) たしかにポップって感じがします。雰囲気が柔らかくてつやつやしてますね。

三島の自決は少なからずショックだったでしょうし、そのインパクトを逃れる方法を考案しない限り新しい文学は書けないと、かなり自覚的だったのかもしれませんね。少なくとも「風の歌~」は露骨にそう読めますし。何かが失われたのです。@sazameyuki 文学史的にも大きな存在なんですね~。言われてみますとデビュー作の『風の歌を聴け』の物語の設定が1970年で三島事件の年なのも意味深です。『世界の終わり~』では主人公が予期される死を前にしてどう向かい合うかが書かれていますが、三島を意識しているのでしょうかね

#石原慎太郎 が#三島由紀夫 へのコンプレックスで亡霊のように文学界の老害になってしまったのとは対照的に、#村上春樹 は三島を失ったものとして素直に書こうとしたのは確かだと思う。だから同時代の村上龍が墓穴掘って失われていったようにはならなかったのかも? @sazameyuki 文学史的にも大きな存在なんですね~。言われてみますとデビュー作の『風の歌を聴け』の物語の設定が1970年で三島事件の年なのも意味深です。『世界の終わり~』では主人公が予期される死を前にしてどう向かい合うかが書かれていますが、三島を意識しているのでしょうかね

三島も文体とは対照的に姿勢がかなりポップというか・・。春樹は三島より今では海外で受容されてる。三島+春樹で川端超えたかな@sazameyuki 三島と村上春樹の比較etc新鮮でとても勉強になりました。ありがとうございます。海外でも村上春樹は研究されてるのですね。超国家的作家ですね

ノーベル賞とった川端ってエキゾチシズムでもオリエンタリズムでもなく、猟奇なのよ。三島は不真面目に健全。春樹は真面目に失い続けちゃってて、石原慎太郎は(日本近代性を)失うまいと文学飛び出ちゃう。ロマン主義を基軸に見るとそう見える。(^-^)/

現在の日本の文学の俯瞰図は、戦後三島が嘲笑した日本近代に固執する石原派=芥川賞と、三島を嘲笑せず、日本近代に疑念を挟んだ村上春樹に、二分化して久しいからね。そのあとは真空状態になったけど。文学どころか現在の日本の縮図(^-^)/ @bezoku 村上なんて読むんですかww

いやそうなのだが、拘ってる人が日本なので、実社会も文学もそれにどう向かうかということが、最前線なわけ。(^-^)/ @bezoku 日本とか、三島とか、に拘ること、自体が、未意味です。ww

三島はホモセクシャルに屈託ないのだけど、石原はそれが許せなくて意地になってる。ホモフォビアだけで生きてる石原さんに、なぜかマジョリティーが呼応してるよ。(^-^)/ @sazameyuki 三島は美輪明宏、横尾忠則等と親しかったようですね。一方で『英霊の声』や『奔馬』等の作品もありますね。以前youtubeでノーベル賞受賞記念の川端・三島・伊藤整の鼎談の動画を観たことがあるのですが良い師弟関係って感じで面白かったです。 RT @sunamajiri 三島も文体とは

音楽の酒盛りVS神懸り 神VS少女の眠気(^-^)/

2012.01.16

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[少女に神を顕る酒盛り文化 VS ラリって神化する収奪文化]VS 少女化するおばん

・・・という話題のツイートまとめ(^-^)/


モルヒネきいて病室にいるとチャーリーパーカーな気持ちになるよー。これからヘッドフォンでコルトレーンの至上の愛を聴きたい気分。音楽の精霊がおりてきちゃったりして(^-^)/
12年1月5日 - 18:52

@magicalmako
あるいみ 天国だね

@bezoku
こういう状況から音楽が生まれんたよ!

日本人は酒盛りで音楽やろうとするから田植えの音楽みたいに飛べないのよ。広辞苑で大麻は天皇だけに許された神罹るためのものとなってるけど、日本の文化が飛べないのはそのあたりかもね(^-^)/RT @sunamajiri RT @bezoku こういう状況から音楽が生まれんたよ!
12年1月5日 - 19:29

ラリるのは天皇以外はタブーだと文化はハレでもケになりそう。お酒で音楽しても田植え歌がやっと。私はお酒飲めないし、米で大麻はエッチしたくなるだけで、ないほうが音楽的だった。でも術後のモルヒネぽいのは確かに天皇より天界の音楽な気分。エッチもいらないかも(^-^)/RT @bezoku
12年1月5日 - 19:48

孤影 @mewmew16g 1月13日
音楽において日本人離れしたセンスって言葉よくないな… まるで欧米優位で自分たちを卑下してるみたい。まぁ世界のポップミュージックの中心は英語圏だけどさ… 日本にも良い音楽もあるし良いミュージシャンもいるってことで。この言葉をあまり使わないようにしよう。

天皇だけが大麻で神掛れて、民は酒盛りで音楽する文化と、自らラリって神化する文化ぐらいの違いがありそう・・とか、この前つぶやいたのを思い出してしまった(^-^)/ @mewmew16g 音楽において日本人離れしたセンスって言葉よくないな… まるで欧米優位で自分たちを卑下してるみたい
12年1月13日 - 23:43


MSN産経:あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」 理系論文での異例の受賞で、現地調査を積み重ねた上での大胆な結論は世間に衝撃を与えそうだ。 http://t.co/3SAlxVfk
posted at 01:43:21

RT @tubupoko: 田母神俊雄にお金を渡す為に作られた賞、ね。そうやってスパイを飼うんです。田母神論文が、“原爆投下、アメリカの判断は正しい”論、だったのが象徴的。@sunamajiri “元航空幕僚長の田母神俊雄氏が第1回の最優秀賞に選ばれて騒然となった「真の近現代史観」懸賞論文”

RT @tubupoko: ざっと駆け足で解説します。まず、戦後。アメリカの核開発に対して、国内の開発担当者からも、猛烈な講義があり、原爆開発停止、軍事関係者廃業の危機に陥った。そもそも、戦争終結が軍隊廃業の危機だったんだが、中でも、ね、核関係は。

RT @tubupoko: スパイを通じてソ連に核爆弾製造技術を渡して、核爆弾を作らせた。というのは、軍隊、とりわけ情報機関失業の危機はソ連も同様だったからね、お互いの利害がめでたく一致。というわけで、“核兵器製造競争”が始まった。同時に、アメリカ国内では、

RT @tubupoko: アメリカの世界戦略、世界の軍事支配にとって喫緊の課題だった。で、“原爆を落とされたのは日本が悪い”(被害者責任論)を展開するわけです。日本のされ馬鹿集団がしばしば喚く“自虐史観”はここに淵源します。その日本悪玉論の先鋒が正力、中曽根。

うむ、いいよねー、戦後冷戦に食べさせてもらってた世代は。まるで戦後は自分たちが作ったといわんばかりの亡霊のようだけど。@tubupoko 田母神俊雄にお金を渡す為に作られた賞、ね。そうやってスパイを飼うんです。田母神論文が、“原爆投下、アメリカの判断は正しい”論、だったのが象徴的
posted at 01:59:21

おお、米がソ連に核技術を渡して冷戦を捏造したという視点は持ってなかった(^-^)/ @tubupoko スパイを通じてソ連に核爆弾製造技術を渡して、核爆弾を作らせた。というのは、軍隊、とりわけ情報機関失業の危機はソ連も同様だったからね、お互いの利害がめでたく一致。
posted at 02:14:09

マッカーシズムはよくわかってます。日本の原発導入もよくわかってましたが、最近知ったのは、東北に核燃料設備が多いのは三沢米軍の核兵器への燃料供給のため、という話でした。@tubupoko
posted at 02:18:40

アメリカで現代文学研究をすると、客観的にマッカーシズムばかりと向き合うことになります。その視点で日本をみると、戦後の日本の社会主義化、共産主義を阻止できたのも原発導入があったからだ、というのもおぼろげにイメージはできます。@EiichiroNoguchi @tubupoko
posted at 02:25:34

よくわかります。田母神氏のニュース、一義的に鵜呑みにするわけでなく、突出した言説がなぜ可能なのかに興味があるだけです。軍は正当性で金を得る。社会主義のほうが正当性を得やすいのに、米は核という力で公金を得たという話ですから。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 02:37:21

RT @tubupoko: 視点じゃなくて事実です。@sunamajiri おお、米がソ連に核技術を渡して冷戦を捏造したという視点は持ってなかった(^-^)/ @tubupoko スパイを通じてソ連に核爆弾製造技術を渡して、核爆弾を作らせた。 .

RT @tubupoko: つまり、“共産主義”というイデオロギーの問題ではなく、“無神論”の問題なんです。アメリカは言わばカルト国家ですから。だから、日本の自称右翼・アメリカの工作員の反共主義が滑稽なのね。根拠がない

あえて視点というのは、日本の脱原発という人たちが、福島の当事者をマイノリティー化させてしまったのは、認識上の何が欠如していたためなのか、に関心がある為です。歴史観でも事実でも何でもそうですが、何かが十全でない。孤立には必ず原因があるものです。@tubupoko
posted at 02:48:47

たとえば先ほどの、米がソ連に核技術を渡して冷戦を捏ち上げたという「事実」を知らないから、極端な話、福島は日本の核開発を恐れた米による地震兵器攻撃だ、という陰謀論が成り立つのかな、と。どういう整合性で見ればいいのかなとw @tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 02:53:10

そうです、https://t.co/1dGXuFV7 といったように、日本に欠如してる「視点」jは、つねに「対神」という弁証法なんです。だから、https://t.co/9e9qR8lA と(国語が)なる。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 02:56:05

ですね。それより最大の関心は国語というコントロールの研究なんです。どういう視点を死角に追いやることで国語、つまり国家イデオロギーですが、が可能なのか、ということが私の研究テーマです。なので言説に目を光らせます。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 03:02:42

そうですよ、アメリカはタブーの巣窟、いや坩堝です。へたすると進化論で殺されますから。日本では、素朴に神VS人という二元論=近代さえ確立されてないので見えないですが、あちらでは科学VS宗教という神学論争を永遠にやってますから。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 03:08:53

なるほど、それは面白い「視点」です。米の無神論は物質主義に転嫁してるし、アメリカの文化は殆どその屈折ですから。@tubupoko @EiichiroNoguchi 軍事開発に対して、“物語”に仮託して反対する、ないし、これは見えにくいんですが、“無神論”を展開する、という傾向
posted at 03:11:43

RT @tubupoko: つまり、“共産主義”というイデオロギーの問題ではなく、“無神論”の問題なんです。アメリカは言わばカルト国家ですから。だから、日本の自称右翼・アメリカの工作員の反共主義が滑稽なのね。根拠がない。

RT @tubupoko: それは、間違った認識ですね。福島の被害者がマイノリティー化したのは、@sunamajiri あえて視点というのは、日本の脱原発という人たちが、福島の当事者をマイノリティー化させてしまったのは、認識上の何が欠如していたためなのか、に関心がある為です。

RT @tubupoko: 大本薫さんの“国語”論に引き付けていえば、“誰が言っているのか?”という主体を離れて言葉を考えるのは意味がない、というのが僕の主張の骨子ですね。日本人の反共主義ほど愚劣きわまる主張はありません

RT @sakuracocoa: @tubupoko 物語、無神論という言葉が目に入ったので横からすみません。それはアメリカのキリスト教右派が(日本でもそういう発言ありましたし、日本の震災に対してそういう発言を行った米国著名人もいたとか)しばしば用いる「天罰発言」みたいなものの対極をなすような感じなんでしょうか?

何というか、日本人がハリウッドの物語性を楽しめるあるリアリティーですよね。ところが日本のアニメでは、なかなかそこまで物語れない。何なんだろう?@tubupoko 『サルの惑星』にしても、明らかに反原爆というメッセージを内包していますね、幼稚ですが@EiichiroNoguchi
posted at 03:26:27

RT @tubupoko: それは、間違った認識ですね。福島の被害者がマイノリティー化したのは、@sunamajiri あえて視点というのは、日本の脱原発という人たちが、福島の当事者をマイノリティー化させてしまったのは、認識上の何が欠如していたためなのか、に関心がある為です。@tubupoko .

いやhttps://t.co/Xdn7Jmge こういうこという人いますしww 実際私にもそう見えました。司会者もしきりに視聴数がすくないけどアーカイブされますので、と言ってましたし、かなり気になりましたよ。(^-^)/ @tubupoko
posted at 03:36:19

日本のアニメは終局的に萌えにしかいかないよー。たとえ物語性があっても、ヤマトはできても、スタトレは物語れないよ気恥ずかしくて。でもヤマトは映画化してもつまらなかったけど、ハリウッドのスペクタクルはやはり観てて引きこまれちゃう。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 03:38:04

最近いつも言ってるんですが、音楽クリエーターは自らラリって神がかろうとするが、日本では広辞苑に大麻は天皇が神がかるためのものと一義的になってるように、ミュージシャンは酒盛りするだけ。お酒はかえって音楽をだめにするからなー@EiichiroNoguchi @tubupoko
posted at 03:40:10

ラリるのは薬でもナチュラルでもなんでもいいですが、それを抑制されて、酒盛りするお百姓さんの文化なんですよ。良い悪いではなく、その違いが事実ある。日本のジャズミュージシャンは皆お酒ばかり飲むよー(^-^)/ @EiichiroNoguchi @tubupoko
posted at 03:41:37

RT @EiichiroNoguchi: @sunamajiri さん、@tubupoko さん、(承前)「自由に考えていい」(あるいは、音楽であれば「自由にプレイして」)と言われた時、アメリカ人なら瞳がパッと明るくなり、日本で暮らしている日本人は戸惑う(←敢えてステレオタイプで言ってますが)のは、そのせいじゃないかと、

RT @EiichiroNoguchi: @sunamajiri さん、@tubupoko さん。ものすごく類型的にイメージすると、遥かな地平線を見たとき、アメリカ人は瞳を輝かせて馬車や自動車でどこまても行ってみたくなり、日本人は戸惑って、落ち着ける盆地を探そうとする、とか。/では、今晩は先に休みます。有難うございます。

そそ、必ず酒盛りで打ち上げるでしょ? お酒って、神の下座の飲み物のような。それに対して、あっちのミュージシャンの目が遠くをみてるのは、自ら神になろうとしてしまっている、そのぐらいの違いが、人VS神の関係で起こっている。@EiichiroNoguchi @tubupoko
posted at 03:50:13

何でもそうなんですが、日本では文化は必ず可愛さやロリに帰着するんです。黒澤や武満という戦後日本のハイカルチャーですら、晩年は少女の朧気な姿に帰着しちゃう。アニメはそれを全面化してるだけです。物語性があるわけではない気がする。@tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 03:52:13

面白かったですね。日本は酒盛りして少女にロリを観て和んでしまうんですが、それで神がかって国家までカルトになる国に収奪されてる、って構図ですよね。でも日本の少女のほうが可愛いから、お酒飲んで眺めてようみたいなww(^-^)/ @tubupoko @EiichiroNoguchi
posted at 03:56:09

(承前)で、言っちゃ悪いんだけど、少女のように酒盛りカルチャーに眺めてもらえなくなった私達おばさんたちが脱原発と孤立して言ってようににみえてしまった。だから意外とジェンダー論に陥ってるんです。私は原発もジェンダー論も、超越論的=一歩下がって見てますが。少女だし(^-^)/
posted at 04:14:10

ジャズなんて、薬がなくても、演ってれば音楽だけでナチュラルにラリってくるものなんですが、日本のミュージシャンは酒盛りしちゃうw @EiichiroNoguchi うわあ... 久しぶりに、エリック•ドルフィーとコルトレーンの眼差しを思い出しました、、おおきに@tubupoko
posted at 04:16:21

神じゃなく少女を思い浮かべるとたぶん眠れるはずですw あちらはB級ほど神が直接的なんですよ。@tubupoko B級といわれる作品でも、神とか終末とか、それなりに“超越的なもの”を扱っているのが面白いですね。日本の作品にはない。良くも悪くも@EiichiroNoguchi
posted at 04:18:30

(承前)私だって、自分はおばんじゃない、女の子なんだ、少女なんだ、と酒盛りおじさんたちのイメージする萌えに、同一化できたときに、お眠になっていきます。たぶん日本のおばさんたち、お酒でおじさん化しない人は、無意識にそれやってます(^-^)/ 
posted at 04:21:08

ということで、だんだんおねむになってくるので、少女語になっていきます。たいてはなりそこねて不眠症にはいっちゃうんですが・・・・(^-^)/
posted at 04:32:08

センター試験の木村敏

2012.01.14

2012センター試験評論問題をめぐるツイートまとめ

2012年01月14日(土)

さっき終わったセンター国語、評論は堅実に、木村敏「境界としての自己」で、評論問6は内容一致問題、小説は井伏鱒二「たま虫を見る」だったようだ。
posted at 15:59:26

今年のセンター評論、木村敏は精神医学の立場から、欝(過去)、統合失調(未来)、癲癇(祭りの現在)という時間論を唱え、現代思想から注目され、現代思想の他者というキーワードで思弁を展開した。そのどの文脈が出題されたかにもよるが、けっこう存在論的で、難読だったかもね。(^-^)/
posted at 16:11:44

センター評論、木村敏のオートポイエーシス論的な内容だったみたいね。自己組織化ということだが、それと自己意識のどの論点の部位がだされたのかは、問題みるまでわからないけど。木村敏的な遡行って厄介だけど、けっこう横断的で楽しめたのかもね(^-^)/
posted at 16:59:03


今日のセンター評論問題きたー。 http://t.co/xvAFEF4l 12分で全問正解できた。木村敏にしては難易度低いね。超克要約は「境界面における生命維持は個体と集団で共通だが、集団が困難な人間は、境界を意識する自己意識だ」
posted at 21:48:06

笑えるって、木村敏らしいじゃない。木村敏は企てがないからね。自明的だよ。どうやら今年はあえて文明論を避けて、医者の文章を出したね。木村敏は当たり障りなくて出題しやすいのだ。(^-^)/ @bezoku 「境界面における生命維持は個体と集団で共通だが、集団が困難な人間は、境界を意識する自己意識だ」 ← 笑える! ww
posted at 22:01:33

本文に精神分析=フロイトの自我境界とか言及があるが、現代思想が当時評価したほど木村敏は有意味ではないと思う。単に医者なのよ。(^-^)/
posted at 22:53:33

木村敏は高校教科書に採用されている時間論とかは、確かにちょっとややこしいのだが、今回 https://t.co/uqxBx4Yk の自他論になると、とたんに存在論ですらなく、病因論であるのかも定かでない思弁になっちゃうから、何も言ってない文章をどう読解するか、という変な話になるw
posted at 23:00:48

ぎゃー、にゃんこさん、落ちてったー、このあと一体どこまで落ちたのかが気になる(。センター試験真っ盛りに縁起でもないなこれ(^-^)/ @bezoku 笑える! ww http://t.co/gFKDMKmg
posted at 23:10:09

センター当日、現国ガンバレー(^-^)/

2012.01.14

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センター試験当日。現国関連のツイートまとめ(^-^)/

今朝は盛岡と茅ヶ崎、二度しか違わないらしい。センター試験うけるにゃんこさん達は会場に向ってる時分ね。現国は、評論も小説も、最大対立項と、対立の理由をなるべく早く目星つけられるかが勝負。がんばれー(^-^)/ http://t.co/U0rscbwt
posted at 07:10:50

センター当日。評論も小説も同じ理屈で問われるだけ。 小説はAからBへの変化と違いの理由。 評論も小対立を積み重ね、文中の最大公約数的な大対立と、その違いの理由しか問われようがない。 必ず近代日本が直接間接に軸となる文しかあり得ない。 がんばれ~(^-^)/
posted at 07:28:45

小説の問6は、最近は表現特徴問題。これは、選択肢同士の対比を問われてる。 選択肢をよく見比べて、要素ごとに一番重要な対立項を発見してね(^-^)/  近代小説の手法には、客観と主観描写の別があり、明治期の漢語的な観念は、具体性の正反対よ。 ガンバレー(^-^)/
posted at 07:55:51

小説問6。文学表現の対立性が問われている。知識がなくても、選択肢同士を見比べて解答できるように出題されている。 比喩(別のものに喩える)とそうでないか。リアリズムVSファンタジー(幻想小説)という風に、表現手法の対立項が問われている。 ガンバレー(^-^)/
posted at 07:56:35

評論は、近代が明示されなくても、人間=近代、宇宙対生物なら、生命が近代と同一視されている。近代とは自由ということ。しかし日本の近代は、近代の中途半端性として問題意識が持たれる。文明だけを過信すると人間性が犠牲にされる、という風に評論される。ガンバレー(^-^)/
posted at 08:08:30

センター現国。評論も小説も、何の話かは、対立項と理由で目星つける。 理由は勝手に詮索しないで、文中の適切な理由。 しかし何の話であるかは、近代論の範疇を出られない。だから安心して。楽しんで解答してねー、ガンバレー(^-^)/
posted at 08:13:42

センター現国。対立項は必ず優劣。大人より子供、単一性より多様性。自己より他者。内部より外部。下より上が高い自然法則と同じ。対比は比較が可能だから。それが対立項の理由。読解はそれだけ。近代は自由のはずだが、現実にそうでないから、近代より非近代。人間辞めれたら合格(^-^)/
posted at 08:30:45

インコの人 @bezoku 
他者より自己ぢゃないんだ。
56分

よく気づいたわね。そこが団塊入試の頃の日本論と、一番分かりやすい違い。いま自他ときたら、必ず他者に軍配が上がる文脈しか書かれないし出題されない。6~70年代までの評論のある意味真逆。今センターに出るのは90年代、あるいはポスト9.11。@bezoku 他者より自己ぢゃないんだ。
posted at 08:36:44

センター現国。自他なら他者だが、それが左よりすぎて、ポスト3.11の右傾化では、逆に保守が問われ始めてる。今回出題されるかは微妙。保守主義とは近代性への懐疑(対立項)として、論じられることが多い。ガンバレー(^-^)/
posted at 08:45:47

センター現国。分かりづらい保守や資本主義は、対立項を念頭に置く。保守が対峙する社会主義やマルクス主義は、神を殺して(無神論や唯物論)、人間を万能とする近代主義。「近代」とは神と人間の自由の争奪のこと。人間は神から自由だから、人が人を治めるというのが社会主義。それを疑うのが保守。
posted at 09:00:02

センター現国ガンバレー(^-^)/ 神とは?とやらず、何かと対比しての神。しかし、神より人間なのか、人間より神なのか、わからなくなっているのが最近の評論。だから神とは、という命題が入試で頻出している。ガンバレー(^-^)/
posted at 09:06:18

神がかってきたからww センター現国ツイートそろそろ終わり。今日は暖かでよかったね。横浜のにゃんこさんも、東北のにゃんこさんたちも、午前おわったら、午後からの現国解答、エンジョイしてねー(^-^)/
posted at 09:10:03

え~、まじ? 盛岡体感で暖かとかツイートしちゃったんだけど、茅ヶ崎雪?(・・;) @inazumaoryu おはようございます。これからバイト、雪ふってる(´Д`)
posted at 09:18:19

暖かいとかツイートしたけど、外確かに今日は盛岡チックに冷たい。雪降ってもおかしくない寒さ(^-^)/ http://t.co/5Ql92cA8
posted at 09:22:09

ほんとセンター試験の日って、寒いのよねー。にゃんこさんたち、まだ元気だからがんばれるんだけど、考えたら切なくなってきた(^-^)/
posted at 09:24:03

それにしても、自己より他者とか、単一(画一)より多様とか、二項対立させると必ず優劣関係になるわけで、男女対等とかいうと男より女になったり、それ以前に神と対等な人間とか言ってたら、結局、人間より神になりはじめてるし。そう考えると最近の現国は四字熟語的であるより、自他とかニ次熟語系ね
posted at 09:53:21

マシンの擬人化と、表示するマシン

2011.11.18

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なぜ日本は文明を過信する反面、産業に希望を失ってしまったのか? それはインフォームする対象を理解していないからだ。ITを独創できない日本は、WEB2.0ですら、インフォームする対象ではなく、ソーシャル自体にあると錯覚してしまう。

この文化の違いはなんなのだろう。一言で言えば、偶像崇拝=擬人法の禁止を視野に入れて、文明を理解しようとしていないからだ。

現在のGoogle、Apple、MicrosoftによるIT覇権は、一見するとタブレットという新たなインターフェースに向かっているように見える。そのように見えた時点で、日本だけ取り残されている。彼らは単にインフォームしたいものをインフォームしようとしてリソースを集中しているにすぎないのだから。

彼らはマシンを擬人化しようとはしていない。人間が生きるための新たなコロニーをつくろうとしているだけだ。それを表示するのがインターフェースやソーシャルであるに過ぎない。

それがわからないために、IT覇権からじつは取り残されている。つまり持て余している。それが日本の産業が、致命的に希望を見出せない、直接原因にまでなってしまっている。

ツイートまとめ:

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
#MIXI のどこがグローバルなんだか。MIXIのシステムをピグみたいに他の国に輸出でもするビジネスモデル? いつまでたっても輸出って考えだったりするのかな? Googleはオープンソースなのに? おママゴトみたいねこの人達。(^-^)/ http://diamond.jp/articles/-/14875
11月16日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
Apple acquired mind-blowing 3D mapping company C3 Technologies, looking to take iOS Maps to the next level http://9to5mac.com/2011/10/29/apple-acquired-mind-blowing-3d-mapping-company-c3-technologies-looking-to-take-ios-maps-to-the-next-level/ via @9to5mac
1時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
なぜか衛星写真から建物が自動生成される。GoogleEarthを超えた。AppleさんこれでFSを作って(^-^)/ Appleが買収した地図製作会社の技術がスゴイ【C3 Technologies社】 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2132002850562313101
1時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
タブレットをめぐってGoogleとAppleとMSが競争してるようにみえるが、実は何をインフォームするかというと、アドセンスのようなキーワードでも、実際のマップなのだ。だからこそコンピューティングは始源の70年代のFSの3Dに遡る。インターフェースに目を奪われていると見えない。
1時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
日本ではコンピューティングはインターフェース(GUI)か、そのつながりとしてのSNSにみえてしまうのだが、じつはIT覇権は、バーチャルアース、グーグルアース、そしてアップルのアース、という3Dマップシステムなのだ。それをインフォームするためのGUIだったりアドセンスだったりする。
1時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
3Dマップを制する者がソーシャルもGUIも制する。つまりコンピューティングがインフォームするものは3Dマップというオブジェクト以外ではない。#Google がタブレットに現をぬかしてる隙に#apple が本気だしてきた。(^-^)/ matome.naver.jp/odai/213200285…
55分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
じつはサーバ技術も3D地図の表示技術に収斂している。世界2位のPCメーカーはGoogleだとされるが、彼らのサーバOSは、じつはGoogleEarthのリアルタイムレンダリングのリソースを作ることだった。グーグルアースがどれほどサーバリソースを要求するものか意外と知られていない。
48分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
どうも日本では、#コンピューティング はインフォームする何かを探るもの、となってしまうように思える。インフォームするオブジェクトが不明のままだから、インターフェースにばかり注目されて、だからこそ世界のIT覇権が何をやってるのか理解していない。
46分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
このオブジェクトが不明だというのは、何もコンピューティングに限らず、日本の近代化の最大の命題だったと思う。対象と一体化するのか、対象を対象化するのか、これが近代の命題だが、日本でコンピューティングが本質を突けず、つねに後手か取り残されるのも、対象が不明だからだ。
43分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
(続き)対象化する文明を万能と思い込む勢いで、コロニアリズムを世界史的例外として唯一免れた日本の近代の問題だ。言い換えると、それは対象が不明だということに尽きる。西欧で起こった近代化もコンピューティング、じつは厳然とした対象があったからこそで、彼らはAIのような擬人化に陥らない。
38分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
日本でITが全く独創できず何かが見えていないのも、ITが何をインフォームするのか、を読解できていないからに過ぎない。インフォームすべき対象が見えないために、ソーシャルもひとつのインターフェースと矮小化してしまう。だからITが実は日本にはまだない。
36分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ところで対象化とはそもそも偶像崇拝=擬人法の禁止のことだ。つまりITでインフォームしようとしている、あるいは近代化をもたらした、ある対象とは、そもそもは戒律(律法)としての擬人法=偶像崇拝の禁止のことだ。たぶんこれがわからないと #コンピューティング はわからないのではないか?
31分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
#Google がアドセンスからタブレット=インターフェースに向かっているのも、ソーシャルに向かうというよりは、表示(インフォーム)するべきオブジェクトを持っていたらだ。それがGoogleが世界2位のPCメーカー兼需要者である理由だ。#Apple が対決しているのは3D地図だ。
28分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
日本の産業は、インフォームする対象を見いだせずに混迷しているだけに見える。ITは擬人法、つまり人工無能ではないし、ソーシャルなだけでもない。だからこそインターフェースだけではない。SNSですらその何かをインフォームしようとしているだけ。アップルがそれに気づき始めたようだ。
10分前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
マシンを擬人化しちゃう日本人は、コンピューティングを持て余して取り残されたのよ。bit.ly/tRyt0X @bezoku 雇用を拝金構造にした。RT @rkernel: テクノロジは雇用を破壊しているのか?http://r10.to/hZgozn #r_blog

裏表、抑揚、緩急、伸縮・・・。

2011.11.16

フルート関係のツイートまとめ

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
おお、これ見たの? http://www.youtube.com/watch?v=DwNf8f95RyA @LitoSnowfield あ〜良かったぁ クールで温かくて♪ あ…鳥のように可愛いかぁ〜
11月12日

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
メルドー、こういうのをフルートの人たちはきかんのかしら、とってもフルート向きのアティキレーションなのだが・・・フルート以外を聴かないフルーティズムの連中って耳の変態(^-^)/ Brad Mehldau - 1999 youtube.com/watch?v=M-T3oU…
11月15日

LitoSnowfield Lito Snowfield
数年前にフルートを吹こうと買ったものの放置で(笑) 先の震災と事故からの避難で音楽欠乏症になり(*uou)> ゆうつべさんで改めてジャズフルートを聴き始めて…。以前に吹いていたサックスとのラインの違いに…(*^o^)> あるのかな? サックス脳とフルート脳。
4時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
あると思う。私もサックスに持ち替えできない。私、英語しゃべりはじめると日本語しゃべれなくなり、日本語すさまじくなると、英語からっきし忘れるのだけど、ちょっと似てるのかな?(^-^)/ @LitoSnowfield あるのかな? サックス脳とフルート脳。
3時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
ん…(*u_u)> 私がフルートという楽器を思い出したのは、入浴中に口笛でボサノバを吹いていたからだった(*^o^)> …(*uou)ゞフルートのラインと口笛のライン(笑) ダメ筋だろうか…(*uou)>⁇
4時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
口笛というより声なんです。さっきのフルート脳サックス脳のたとえで言うと、フルートでそれをやるか、サックスでそれをやるかというか。フルートで笛系を模倣しようとすると、たぶんとたんにジャズからかけ離れるかと・・・(^-^)/@LitoSnowfield フルートのラインと口笛のライン
3時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
フルートの人だけなんです、フルートでフルートを模倣する耳しか持っていないのは。声といいましたけど、ピアノでも、それこそサックスでも、フルート以外を模倣しようという魂胆がジャズなんです。大体ジャズはそういうものだった。ピアニストはホーンのモノマネです。@LitoSnowfield
3時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@
@sunamajiri あ…“笛系をやるとジャズから離れる”の話題はsunamajiriさんのHPに書かれていた事に繋がるのでしょうか?私は“声”という括りにするとサックス方面へ行ってしまうのですが、口笛だとそこから自由になる感じになります。 (続く…
3時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
いや音色ではなく、真似する自分の楽器がフルートだったりピアノだったりするだけなんです。それをフルートの人は、たとえばbit.ly/rSLvXp のメルドーを聴いたら、模倣するよりも、ロングトーンを朗々とやりたい衝動に勝てないんです。@LitoSnowfield
3時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@
@sunamajiri 続き…) そしてあのsunamajiriさんのフルートのラインが声とすると…。私には…今のところ…sunamajiriさんが鳥さんになったからかな…と(*^o^)> 先日のお話の続きのようですが、鳥の歌に聴こえてしまうのです。。
3時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
鳥さんとか浮遊感とかは、その結果なんです。異音をだすというのなら、ただ西欧音楽を相対化したかったメシアンにしかならない。そういう現代音楽なるジャンルは武満徹が文字通り笛の音そのものに収束させてしまった。あれは音楽ではなく音なんです。@LitoSnowfield
3時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
声も実は太鼓の模倣なんです。つまり太鼓叩きたくて声出したりピアノ弾いたりフルート吹いてるんです。ベースも太鼓の模倣が最初。いまはドラムがウワモノだけど。これの1.09分の太鼓さんさらに声出ちゃってるけどw youtube.com/watch?v=Cw2Ksr… @LitoSnowfield
3時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
在米中(もう20年も前)、その後バークリーのフルート科の先生になった二人がジャズを教えてくれというのでレッスンつけてましたが、私がやったことは二つ。まずアドリブ中にロングトーンに逃げるな。フルートをフルートならではのリズム楽器にしろ、それだけです。@LitoSnowfield
3時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@sunamajiri “まずロングトーンをするな。フルートをフルートならではのリズム楽器にしろ”うわっ‼ 凄いヒントをありがとうございます(・o・)‼ 早速、あいぽんのフルートメモに…φ(uou*)メモメモ
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
練習のロングトーンは必要よww ヨーロッパの音楽はそれこそ声なんです。しかしアフリカの音楽は端的にリズムの裏と表しかないんです。裏だと思って着地したら表だとコケるでしょ?それを遊んでるだけなのよ。ヨーロッパ人みたいに抑揚からアプローチしてない。@LitoSnowfield
2時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@
@sunamajiri あ…勿論(笑)、基礎練習のロングトーンは基本ですから。私の目標はまず、安定したロングトーンです(*uou)/ アドリブでの“逃げのロングトーン禁止”ですね
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
裏表の遊びしかないのよ。日本は抑揚しかないから、ヨーロッパ音楽も抑揚に聴こえちゃう。じつは終止形しか彼らには聴こえてないんだけど。だったら太鼓の表裏を抑揚で聴ければいいだけなのに、なかなかそう聴こえてる人がいないらしくて・・・(^-^)/ @LitoSnowfield
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
ついでに#武満徹 の抑揚は文学的すぎ。メシアンが異音で終止形を相対化した現代音楽を、抑揚を相対化する笛の純音にしてしまった(新たな終止形?)のだが、文学的に音楽が可能というのは音楽ではない。文学的に近代が可能と言いながら、世界の終わりを語ってるようなもの。あれは異音か効果音。
2時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@
@sunamajiri “日本は抑揚しかないから、ヨーロッパ音楽も抑揚に聴こえちゃう” ああ…それはありますね(・o・)‼ “太鼓の表裏を抑揚で聴ければいいだけ”…この聴き方は。。例えばドラムソロのラインをメロディのように聴いている事に近いですか(・o・)?
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
アフリカ人そう聴こえてそう。@LitoSnowfield “日本は抑揚しかないから、ヨーロッパ音楽も抑揚に聴こえちゃう” ああ…それはありますね(・o・)‼ “太鼓の表裏を抑揚で聴ければいいだけ”…この聴き方は。。例えばドラムソロのラインをメロディのように聴いている事に近いですか
2時間前

LitoSnowfield Lito Snowfield
@
@sunamajiri ん…ひょっとして私はアフリカの人に近いのかしら(*^o^)> と…アフリカな方の音楽はパルスの楽しさ…ワケワカメな表現ですみません…だと思っていました。“裏表で遊ぶ”かぁ〜。。(*uou)>‼
2時間前

sunamajiri 大本薫 Kaoru Ohmoto
@
日本人が表裏を抑揚と聴こえないのは、緩急と抑揚が別物に聴こえるからみたい。ヨーロッパ人は緩急を抑揚に調和させようとする。前、拍が取れない生徒さんが私のライブ聴いてて、私のソロが32小節を伸び縮みさせてると言い張っていて苦笑したことが・・w @LitoSnowfield
2時間前

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